どうもリョウスケです
2023年7月12日水曜日
天気 雨のちくもり
ここは上田城である。
真田昌幸が築城したとされるお城で
過去に二度も、
徳川軍を退けた難攻不落のお城である。
大阪と九度山に訪れた私にとって
まさにいま真田一族への熱が急上昇中。
ここはその真田の名を世に知らしめたお城だ。
旅でも一回訪れたことがあるけれど、
当時は何も知らずに訪れたのもあって、
あの頃はまだよくわかっていなかった。
だけどいまならよくわかる。
ああ、ここがあの上田城か。
ここがあの、、、ここがあの、、、
ん? でもなんだ、
どこをみても幸村ばっかり。
幸村の銅像が立っていたり(しかも十文字槍を携えて、明らかにゲームのキャラに寄せている)
上田合戦も幸村の功績のように書かれていたり(参加していたのは間違いないけど、どちらかといえば昌幸の功績では)
穴あき看板も真田幸村だったり。
だからわからなくはないけれど、
私は真田幸村も好きなので、
別にいいんだけど。
でもどちらかというと
幸村の功績は「大坂の陣」に集約しており、
それ以前は昌幸の功績の方が高いと考えるべきではないかと思う。
現在の幸村人気に迎合して
誤解を与えかねない
歴史の表記をしてもいいのだろうか?
うーん、ちょっと違和感である。
歴史にそこまで詳しくないので
あるいはわたしの解釈の方が間違っているかもしれないが、それでももっと
昌幸のことももう少し啓蒙してほしい。
彼はもっと評価されるべき
優秀な武将だと個人的には思っている。