チャリ旅日記

旅のことや日常のことを気ままに綴るよ

能登半島へのボランティア

 

 

どうもリョウスケです

 

○バスから外を眺めているといくつもの倒壊したお家とすれ違う。屋根だけを残してぺしゃんこになっていたり、今にも倒れそうに横に傾いていたりと状態は様々。お家の扉には赤色や黄色の貼り紙がされていて、地震から数ヶ月経った今でさえ、いっさい手付かずのままとなっているお宅がまだ沢山あることが、車窓から見渡しただけでよくわかる。

今から一週間前、能登半島を訪れていた。行こう行こうと思っていた災害ボランティアにようやく参加することができた。

正直少し迷っていたのも事実である。現在一般ボランティアの参加は完全予約制。事前にネットで登録し、募集された日時に予約ができたら参加することができる。とはいえ混雑を避けるため金沢駅からバスで能登半島へ向かうので参加できる人数が厳選されており、そのため予約開始後すぐに締め切りになってしまう日もあって、行きたくても行けない状況が続いていた。そんな状況だからこそ、自分なんかが行く意味が果たしてあるだろうかと迷っていた。

自分が行かなくてもボランティアに参加したいと望む人は沢山いる。むしろ自分が参加することによって、行きたくても行けない人が出てしまう。

もしかしたらその人の方が遥かに自分より現地で活躍できるかもしれない、、、

だからすごく迷った。だけど行くことにした。決断した理由は優しさでも自惚れでもなく、単純に自分にとっていい経験になると思ったからだった。


○以前も洪水によって被災した長野の災害ボランティアに参加したことがある。そこで出会ったボランティアの先輩たちはすごく活き活きとボランティア活動をしており、その光景が今でも忘れられない。

ボランティアと聞くと聖人が100%善意で行っているように感じるが、でもそうじゃない。まず自分たちが活動したいという気持ちが根底にあって、その活動が被災した人の助けになっているということ。

仕事じゃないのでお金という対価は発生しないが、彼らにとっては誰かの役に立つことを思う存分発揮できる環境にやりがいや生きがいを感じるため、ある意味ではボランティアと被災地はWin-Winな関係なのだと思う(あくまでわたし個人の感想です)

だからこそボランティアは自己犠牲の精神だとむしろ長続きしない。行きたいから行く、やりたいからやる、嫌ならやらない、しんどかったら休む、無理はしない。これぐらいの心意気の方がより積極的に気持ちよく参加できることを以前の活動で学んだ。


○自分のために参加する。というと、身勝手な感じに聞こえるが、活動自体は被災地復興のための活動である。被災地のための活動を自分のためにやるだけ。

たとえそのせいでわたしより大活躍できる若者や、頼りになるボランティア熟練者が、自分が参加することで参加を断念せざるを得なくなったとしても、わたしはわたし自身のために参加したいと思うので、この日だけはどうか許してほしい。もちろん活動は一生懸命がんばる所存である。

 

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