チャリ旅日記

旅のことや日常のことを気ままに綴るよ

スキー場のアルバイト

 


どうもリョウスケです

 

昨年の年末から始めたスキー場のアルバイトも、早くも降り積もった雪の下から地面とともにそろりと終了のお知らせが顔をのぞかせている。三月の末までは頑張って続けてもらいたいところだが、こればかりは雪の残量次第となるため、歯痒い思いでゲレンデを見つめているしかない。溶けてなくなれば終了するし、滑れるほどに残っていれば続けるのだろうが、今年の暖冬は度を越して暖かいため、すでに望み薄であった。

今回この仕事で初めて十代の歳の離れた若者と一緒に仕事をしてわかったことがある。

これまでにも仕事で若い子と関わることは何度かあった。でもそれはあくまで「関わる」というものであり、今回のように「一緒に仕事をする」という経験は初めてで、横並びの立場だからこそ見えてくるものがある。彼らの中には当然いろんな性質の若者が存在しており、自ら率先して働こうとする真面目な子もいれば、こちらから何か指示を与えないと何もしないスタンスの子、話を振らなくても軽快に会話ができる子、話を振っても最低限しか大人に心を開こうとしない子もおり。いろんな子がいるしそれはそれで楽しくもあるのだが、ただやはりそのすべての若者に共通して言えることは、とにかく「やりづらい!」と私自身が感じてしまうことだ。

彼らと接していると自分が十代の若者と歳が自覚している以上に離れているという現実に恐ろしいほど直面する。

まだ若造の範疇に留まり続けているつもりの私にとって、その現実はあまりに残酷で、忘れかけていた世間との劣等感をふいに蘇らせる起爆剤でもあった。彼らとのジェネレーションギャップを覚えるたびに胸中では心がザワっと沸騰し、彼らのまだ若いからこその舐め腐った態度に反感を抱きつつ、でも心のどこかではそれが羨ましくもあるという複雑な感情が渦巻く。

こんな感覚になるのは初めてのことである。

未知なる体験はドキドキと私の鼓動を激しく高鳴らせると同時に、ザワザワと胸を強く揺さぶり続けている。仕事選びに失敗したと後悔している私は、雪がなくなることで仕事を失う現実に震えながらも、早く雪が溶けて終了してしまえと両極端な思いをその胸に抱えて、今日もゲレンデを見つめている。

 

 

あけおめと今更ながら言ってみる。

 

どうもリョウスケです

 


あけましておめでとうございます!

と、今更ながら言ってみる。もうあけたと思ったあの日から、すでにひと月が終わろうとしており、気づくと今年もあと11ヶ月、、、

さすがに早くないですかと誰にともなく文句をぶちまけたくなる今日この頃。

 


 さて、最近の私はというと、働きたくないシンドロームからなんとか抜け出しようやく仕事を始めたのが昨年末。ゆるい職場の雰囲気に戸惑いつつ、高校生らと働く環境に苦悶しつつ、期間限定の仕事を最後まで全うしようと自分なりに適度に頑張る日々を過ごしている。何をしているかというと、、、それはまた後日(言いたくないわけじゃない)。

 年始から日本を襲った不幸に何か力になれることはないかと頭を悩ませているが、いまのところ妙案は浮かんでこない。大きな募金をするほどの金銭的余裕もなく、ボランティアに参加するほどの身体的精神的余裕もない私。仕事を始めると何も手につかなくなる体たらくなこの性分を早く直したい。それでもそんな私にもできることはないだろうかと考えており、、、考えて、考えて、まだ答えはいっこうに出てきそうにないが、とりあえず今は現地の情報をしっかりと追い続けてアンテナだけは常に張り続けようと思っている。何もできないかもしれないが、何かできることがあったなら、いつでも力になれるようにしていたい。

 まだ今年も始まったばかりだ(もうあと11ヶ月)。とにかく自分にできることを自分にできる範囲で無理なくマイペースにやろうと、とにかく自分に甘々なマシュマロみたいにふんわりとした決意をもって、今年も過ごしていこうと思う次第である。

 

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鉄砲がかっちょいいと思う心

 

◯刀や鉄砲にゾクゾクするのはそれが人殺しの道具だからではなく、そのフォルムや存在に惹かれるからである。それは殺人の道具としての本来の役割をリアルに捉えられない我々だからこそ、その要素をひとまず脇に置いて、歴史的な遺産かつ漫画やゲームに登場するエンタメ的要素の方がしっくりとくるからだろう。これがもし現在でも戦争の絶えない時代だったなら、目の前にあるこれらの武器は、そのまま本来の役割から外れた捉え方などできなかったはずである。

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ーー国友に来ている。

◯国友は、種子島に漂着した外国船から買い取った二挺の拳銃をもとに、日本で初めて鉄砲製作が開始された地域の一つとされている。現在では単なる田舎の小さな住宅地だが、当時は街のほとんどの家で鉄砲が作られていたのだそうだ。

◯そんな歴史的偉大な街に車で二十分ほどの地域に住んでいながら、初めて訪れた私は資料館に展示された数々の鉄砲に興味津々だった。鉄砲の歴史からその製作工程や実物の展示などに夢中で見学する。

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◯三工程に分かれてそれぞれの職人たちによって一挺の鉄砲が作られたとされており、銃口に籠められたのは、弾と職人たちによる汗と涙の結晶である。

◯職人たちの技術力により模倣された鉄砲は、その後さらに改良を重ねられ、日本独自の鉄砲へと進化していった。織田信長がこれを戦で活用したことで歴史を大きく変えたのは有名な話。厨二心をくすぐられるような装飾の施された鉄砲なども展示されてあって、眺めているだけで、ちゅんごくたのちい。

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◯だがいっぽうで忘れちゃいけないことがある。この鉄砲が歴史を変えたその先には、多くの人間たちの凄惨な犠牲があるということ。

◯平和なうちはこれらの物は漫画やゲームに登場する創作物の一つにしか見えないが、戦争の絶えない地域では、今日も誰かが銃で命を奪われている。

◯鉄砲を眺めてかっこいいと思う心は平和な証である。だけど裏を返せば、それらは危機感の希薄さでもあるだろう。かの国で戦争報道が連日なされる中で、この感覚のままでいいのかと考えたくもなる。

◯国友はいまやただの田舎にある小さな街だ。石碑や資料館だけが往時の姿をかろうじて想起させるが、それ以外はどこにでもある小さな街である。

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◯明治になり鉄砲が必要ではなくなったことで鉄砲稼業もやがて廃業となったそうだが、需要がなくなればこうして消えてなくなるのが世の常である。戦いのない世界に人を殺す道具なんて必要がない。

◯世界のどこかでいまも着々と武器が製造されている。それらがやがて歴史の遺産としてすべて資料館に展示され、漫画やアニメの創作物としての役割にすべて置き換わったなら、それが本当の「平和」と呼ぶべき世界と言えるのかもしれない。

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メルカリストに俺はなる!

 


どうもリョウスケです

 

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メルカリにハマっている。

以前から買う方でちょくちょく利用はしていたが、ちょくちょく利用していると、今度は売ってみたいという気持ちが芽生え始めた。不要な物を売ってみて、もし本当に売れたらおもしろそうだとちょっとやってみたいという好奇心が疼き出す。

そこで部屋にあった不要な物を集めてみた。

本や写真集、、楽譜に雑誌、、参考書や小物に雑貨、、集めてみると意外と多い。

こんなにも不要な物で部屋の中が圧迫されていたのかと驚愕する。当時のテンションだけで購入した物、遠出をしたときにせっかくだからと購入した物、買ったのに結局使わなかった物まであって、己の杜撰な購買意欲に腹が立つ物ばかり。それでもこれらがすべて売れてしまえば、その苛立ちの何割かは解消されるかも知れない。

ところがやってみると案外それほど簡単にはいかないことがわかった。

そもそも売り手と買い手にはハッキリとした相反する欲がある。買い手には少しでも安く購入したいという欲があり、売り手には少しでも高く売りたいという欲がある。これらは決して交わることがない。

高く売りたいからと値を上げたところで売れないし、安く売れば売れたところで利益にならない。この購入者との駆け引きにどこまで妥協して、どこまで粘れるかがメルカリストとしての腕の見せ所である。

そこで試しに十数点の本や雑誌を販売してみることにした。

定価の値段が二千円。その半分の額で売れたら十分だと割り切って千円弱で出品する。するとすぐさま「いいね」が複数付いて、数時間後にあっという間に売れてしまった。やった嬉しいと思う反面、こんなに早く売れたことに疑問を感じて相場の値段を調べてみる。するとなんと、同じ物がまさかの四、五千円で取引されていた!?

どうせ簡単には売れないだろうからとろくに調べず適当に値段をつけた本が、どうやら時を経てプレミア価格が付いていたらしい、、、

がっくりと肩を落としながら憎々しく取引に応じるしかない。

値段の決め方は重要である。相場を把握した上で、少しでも高く値段をつけつつ、売れない場合は再考する。その他にも情報の載せ方であったり、写真の撮り方であったり、工夫しなきゃいけないところはたくさんある。さて、次は何を売ってみようか。

私はいま、メルカリにどっぷりとハマっている。

 

しがらみのない生活

 

どうもリョウスケです

 

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風邪をひいた。

朝目を覚ますと喉が痛くて仕方がない。一日休んで目を覚ますと、今度は鼻がぐずぐずして仕方がない。また一日休んで目を覚ますと、次は頭がクラクラして仕方がない。

季節の変わりめからくるやつだろうか、それとも、単に家族内に漂う流行病に自分もうつされただけかもしれない。

こんな時に思うのは、なんのしがらみもない現状をダイレクトに突きつけられてしまうことである。

働き人であれば風邪をひけばいろいろと方々に配慮することもあるだろう。自分に子どもがいれば絶対にうつしてはならないと注意して子どもと接するに違いない。人との約束や用事があればキャンセルするかどうかを思案したはずだ。

かくしてなんのしがらみもない自分はどうだろうか。

朝から苦しくてもそれは自分だけの問題で、早く治す必要性もないからお金をかけてまで病院に行こうとも思わない。自分の体調より<財布に入った泣けなしの現金の方が大事。

たとえそれが治るまでに時間がかかる結果を招いても、部屋に長期間こもる覚悟は、朝食をパンかご飯かで悩むくらいのちっぽけな問題でしかなかった。

その事実が情けないなと思いつつ、気楽だと感じるのも事実であり、まだもうしばらくはこんなクソみたいな生活から抜け出せないのである。

 

 

秀吉のお城

 

どうもリョウスケです

 

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◯全国のお城をたくさん巡った私だが、地元の慣れ親しんだお城のことは、知らないことがいまだに多い。どんなお城で、いつから存在し、いつ廃城になったのか、まるで何も知らない。こいつはかなりの恥である。他県の名高い城跡ばかり夢中になって、最も身近なお城のことはろくに知らない。それではまるで他人の功績ばかり自慢して、貧相な自分の人生には蓋をして見て見ぬふりと同じである。

◯これはいかんと自分の愚かさを反省し、初心に帰るべく、『長浜城』について改めて現地で学習してみよう!

◯そう意気込んで訪れたはいいものの、あることがここで判明した。というよりも、知らなかった理由がこれによって判明したのである。

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◯実は長浜城は、そもそもわからないことが比較的多いお城だったのだ。わかっているのは豊臣秀吉織田信長の指示を受け、初めて築城したお城であるということ。その後、一国一城令によって徳川政権下で廃城したということ。主な遺構は彦根城創建時にほとんど再利用されてしまったということ。

ーーわかっているのはそれぐらい。

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◯どの程度の規模だったか、正確な城の位置、建物の数や形状は資料が存在しないため定かではない。わからないことばかり。つまり、そもそもわからないから知らないのであり、わからないのだから仕方がないということ。その事実は、知らないことを恥だと嘆く自分には腑に落ちる内容ではあったが、知りたいという望みは盛大に裏切られ、残念な想いは拭いきれない。

◯もしも遺構がたくさん残っていたら百名城だ。もしも天守がそのまま残っていたら国宝になった可能性だってある。もしも歴史的価値が高ければ世界遺産も夢じゃない。

◯そこまで高望みしなくても、ある程度でも残っていたら、それだけで私の心は満たされていたはずである。・・・だけど、わかっているのだ。

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◯この街は私のルーツである。歴史を知らなくても、ここにお城があったからこそ、この街は発展し、いまに繋がっている。たとえ歴史から消されても、あったことがなかったことには絶対にならない。『長浜』という地名も豊臣秀吉がつけた名前で、それがいまも地名として残ることによって、我々のアイデンティティの一つを支えているのだ。

◯だから、ここに存在したという事実だけでそれだけで本当に私は満足なのである。ーーたぶん。

 

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ビワイチにも慣れました


どうもリョウスケです

 

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◯琵琶湖を一周するのはこれで六回目だった。

◯六回目ともなるとだいたいのことがわかってくるようになる。どのあたりの道が大変か。どのあたりの道が走りやすくて走りにくいか。どのあたりで一日目が終わって、どのあたりで一泊して、全部でどれほど時間がかかるのか。

◯だから、今更戸惑うということもほとんどなく、安定した退屈さを常に持ち続けて走ることになる。

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f:id:kryo428:20231101152247j:image◯ほぼ予定調和的に遅れてスタートした一日目も予定通りに目的のキャンプ場まで到着すると、f:id:kryo428:20231101152459j:image二日目も予定通りにキャンプ場から出発!
f:id:kryo428:20231101152455j:imageいつも通りに長く苦しい道のりを足の疲労とお尻の激痛に耐えながら、気合いと惰性と虚無感をエンドレスに繰り返して琵琶湖一周を成し遂げたら、何事もないまま今回も無事終了、、、f:id:kryo428:20231101152525j:image

◯もうこれぐらいの長距離旅でハプニングなど滅多に起きやしない。天気も良くて、風もほどよく、気温も高くない、抜群のサイクリング日和!

◯自転車旅でこれほど気候に恵まれた季節はないだろう。楽しくて心地よくて少し退屈で、でもこの退屈さが自転車旅の醍醐味で。

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◯これがいい。これでいい。これぐらいがちょうどいい。ハプニングなんかなくてもいい。そうそう、自転車旅ってこんな感じだったと数ヶ月ぶりに実感できたことが、何よりも嬉しかったーーーーーー。

 

 

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