チャリ旅日記

旅のことや日常のことを気ままに綴るよ

二つの山城へ

 


どうもリョウスケです

 


旅169、170日目

2022年12月6日火曜日

天気 曇り

岡山[総社市高梁市

 


さてと、山城である。

 

 

お城は三つの形態に区分される。


平地に城が築かれた平城。

山と平地に跨って城が築かれた平山城

そして、

山そのものに城が築かれた山城である。

 


この二日間は、

その中でも行くだけでかなり体力の消耗が激しい山城に、

二日連続で挑戦したのだった。

 

 

 

まず鬼ノ城へと訪れる。

 

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鬼ノ城は古代山城で

築城年などの細かい詳細は不明。

おそらく福岡の太宰府に政庁があった時代の

お城とされており、

千年以上も昔に

築かれた城郭とされている。

 


久しぶりの山城だった。

だから忘れていたのもかもしれない。

 


山城がどれほど大変かということーーー。

 


鬼ノ城は駐車場にたどり着くまでが

自転車だと、とにかくかなり大変だった。

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味わったこともないほどのトンデモ坂道を

超積載ポンコツ自転車を地道に押しながら

テクテク歩いて登る約3キロと少しーー。

 


麓の公園の看板には、

車だと7分、

徒歩だと40分・・・と書かれていた。

 


自転車なら2、30分かなと

予想を立てて登ると、

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ついにたどり着いた駐車場までおよそ1時間、、、

徒歩より遥かに時間がかかるなんて。

 


その後も山頂に広大に築かれた鬼ノ城は

歩いて巡ると結構大変で。

登ったり下ったり

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時に登りづらい登山道を歩くこともあり

駐車場に再び戻ってきた頃には、

体もグダグダのヘトヘトのフラフラだった。

 


そして次の日に訪れたのが備中松山城である。

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備中松山城は日本三大山城にも数えられ

山城の中でも特に有名な城郭。

 


現存12天守の中でも唯一の山城でもあり、

現存する天守の中で

最も標高の高いところに築かれた天守でもある。

 


だからこそ、

登る前から不安がすごかった。

 


前日の鬼ノ城でさえただの山城なのだ。

備中松山城は「三大山城」なのである。

 


どれほど過酷な山道を駆け登り

果てしない登山道を歩かなきゃいけないか

 


、、、と思っていたのに。

 


麓に書かれた3キロの道のりは

よくある地味にしんどいだけの峠道。

楽ではないけどツライと嘆くほどでもない。

 


前日の鬼ノ城に比べたら

屁でもない山道を駆け上がり、

鬼ノ城と比べたら

屁でもない城跡を天守まで登っていく。

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何が三大山城だと心の中でつっこみ。

よくここまで自転車で来れたな

と驚く駐車場のおじさんに

「いやいやそんな大したことないですよ」

と謙遜しながらも、

心の中でもちっとも大したことねえよと毒突き

 


それでもこれは、もしかしたら前日の鬼ノ城の

過酷さがあってこそかも知れないとふと思う。

 

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あれがなければ備中松山城もかなり過酷な山城だったのだろうか。

ヘトヘトになりながら、さすが天下の三大山城様だと感動していたのだろうか。

 


ツライ思いをせずに済んだのは

鬼ノ城のおかげでもあり、

三大山城の偉大さをいまいち実感できなかったのも

鬼ノ城のせいかも知れないと思うと

 


鬼ノ城というお城に

感謝と恨みを同時に抱くのだった。

 

 

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鬼ノ城

f:id:kryo428:20221213082744j:image鬼ノ城の峠道。えげつないのに写真じゃ伝わりにくいからもどかしい


f:id:kryo428:20221213082748j:image鬼の釜なんだって。本当かどうかは定かではない。鬼ノ城は桃太郎伝説の舞台の一つとも言われている。


f:id:kryo428:20221213082751j:image苦労してたどり着いた駐車場の横にはビジターセンターがあって、鬼ノ城について詳しく学べると思ったのに、、、


f:id:kryo428:20221213082754j:image休館でした。あんなに苦労したのに。。。


f:id:kryo428:20221213082758j:imageいざ。


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f:id:kryo428:20221213082805j:image唯一遺跡から再建されている西門。当時の資料がほとんど残っていないので、同時代に築かれた門などを参考に再現されている。


f:id:kryo428:20221213082815j:imageけっこうでかい!


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f:id:kryo428:20221213082818j:imageこの大きな城壁が広大なお城の周囲全体を囲っていた。現在は門の周りだけが復元された状態。


f:id:kryo428:20221213082822j:image当時から残る敷石


f:id:kryo428:20221213082825j:image水門


f:id:kryo428:20221213082829j:imageところどころで見かけるお地蔵さんの祠。よく見ると小さいお地蔵さんがいる。


f:id:kryo428:20221213082833j:imageこれも門の跡


f:id:kryo428:20221213082837j:imageこっちは石に彫られたお地蔵さん。この違いはなに?


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f:id:kryo428:20221213082847j:image石垣が残っている。この時代は朝鮮の技術を真似て造られている。日本で本格的に石垣のお城が築かれ始めたのは戦国末期になってから。


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f:id:kryo428:20221213082855j:image空が晴れてたら


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f:id:kryo428:20221213082904j:imageかなり見応えと歩き甲斐のある城跡だった。この時代のお城はほとんど何も残っていないことが多いので、いつもと雰囲気がまったく違って新鮮だった。


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備中松山城

f:id:kryo428:20221213083936j:imageあの山の上に城が築かれている。


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f:id:kryo428:20221213083944j:imageなんだこれは!?


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f:id:kryo428:20221213083951j:imageここにも、、、


f:id:kryo428:20221213083954j:image櫓跡


f:id:kryo428:20221213083958j:imageところどころにある。城主って誰やねん!と思いながら登り続け


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f:id:kryo428:20221213084005j:image登って登って、、ついに石垣郡が見えた時にたまらなく興奮する。山城のこういう感じがけっこう好き。


f:id:kryo428:20221213084008j:image時代に取り残された文明感があって、ファンタジーの世界に迷い込んだような感覚がある。ーー誰かに共感してほしい。


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f:id:kryo428:20221213084015j:imageこの城壁も現存するやつ


f:id:kryo428:20221213084019j:image中を覗くとこんな感じ。覗く必要はない


f:id:kryo428:20221213084059j:image天守に到着!


f:id:kryo428:20221213084022j:imageなんか猫の像がいると思って近づいたら、、、


f:id:kryo428:20221213084026j:image彼が城主でした。伏線回収


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f:id:kryo428:20221213084032j:imageさっきの猫ちゃんは実際に城で飼われている猫で、巷ではかなり有名らしい。ちなみにこの日は受付の奥にいたらしく、姿を見ることが出来なかった。ーー残念

 

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f:id:kryo428:20221213084045j:image天守の中。


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f:id:kryo428:20221213084052j:image現存する櫓


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f:id:kryo428:20221213084109j:imageなんか嬉しい。


f:id:kryo428:20221213084113j:imageここにもいた。後で知ったけど写真集なんかも出してるみたい。そんなに有名なら無理にでも会っておけばよかった、、、


f:id:kryo428:20221213084117j:image山田方谷さん。幕末にこの街とお城に多大な貢献をした人。いまもお城が現存するのは、この人の功績が大きいとされている。


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