どうもリョウスケです
平成最後の〇〇合戦に参入し損なっていたら新しい時代にいつのまにかなっていて
まあいいかってなる
令和になったからって何かが変わるわけではない
平成は生まれた年で
生きてきた時代で
元号を一つしか経験していないのだから、思い出などというのはそもそも
生まれてきて生きてきたこの十数年のことを
改めて
振り返るのと同じこと。
だから「平成」とは、つまるところ、私の全てである
思い入れどころの話ではない
とはいえ私にとって元号が変わることを言葉で表現するならば
少し寂しくて、少し嫌で、少し無関心
が正しい。
生きてきた時代が終わる事への愛着からくる寂しさ
何か支えのような物がなくなる心細さからくる不安定な感情からの拒絶感
そして、
令和になったからって今日から生活が一変するわけでもないのだからと、どこか冷めた気持ちでクールに客観視している自分がいて、
どこか世間に比べると冷めている。
そんなことを言いながらもブログなどを上げているのだがら
無関心などと虚勢を張って
強がっているだけかもしれないが。
平成の最後の年に新しいことを始め、
令和にそれを引き継いでいく
間違いなくこの時代が私の人生の中期から後期を支えてくれるはずである。
令和、、という響きにまだ耳は慣れないが
馴染む頃には
この時代は私の時代だったと言いたくなるだけの何かを成し遂げてみよう
令和になったからって何かが変わるわけではないが
「きっかけ」の一つには、なることもあるかもしれない。
何がきっかけになるかはわからない
ある日偶然知り合った人との出会いがきっかけで人生が変わることもあれば
独自の趣味がきっかけで仕事にありつくこともあるし
ともすれば、、
ある時、仲のいい友達と顔見知り程度の知り合いと3人で遊ぶことになり、途中共通の仲のいい友達が突然トイレに行ってしまい、極度の人見知りの私は顔見知り程度の知り合いとの間を持たすことができず、たまたま飲んでいたお茶のペットボトルに書かれていた俳句をつい目で追ってしまい、たまたま興味を抱いた私は思いつきで考えついた俳句を応募、見事選ばれお茶のペットボトルに私の俳句が乗ることに、、その後、その俳句をこれまた人見知りで有名なある出版社の女性敏腕編集者の目に留まり、是非あなたの本を出したいと依頼が来る、たまたま無職で暇な私は、無限にある時間を利用し小説を出版、これが本を読まない若年層から本にはうるさい高齢者にまで幅広く受け、芥川賞と直木賞をダブル受賞し、その小説を基に描かれた漫画やアニメ、実写映画、連続ドラマが数々の功績を残し、数年間続く一大ブームならぬ特大ハリケーンブームを巻き起こし、ハリウッド化で世界的に大ヒット、その映画を見た世界的に有名な音楽プロデューサーによって作られた曲がネットを中心に百億兆ダウンロードを超え、もっとも世界で有名な曲としてギネスに認定、その曲を聴いた一人の難病で苦しむ少女の体から忽然と病魔が消え去ったことで、奇跡の曲として知れ渡り、その奇跡に感動したある国の大統領が演説で世界平和を涙ながらに強く訴え、世界中の人間の心に衝撃を与え、いまこそ世界が一つになる時であると気付いた我々は、国という境界線を撤廃、温暖化問題、核廃絶、その他様々な問題を解決し、世界に本当の意味での平和が訪れる、、
その「きっかけ」になることもあるかもしれない。。。
だが、まずもってそんなことはあり得ないのだから
何をきっかけにするかは自分で決めたらいい
新しい元号に変わる
いいきっかけじゃないか
つづく
リョウスケ
喫茶店は落ち着いて物事を考える時間を作ることができる
最高の居場所だと思う