どうもリョウスケです
旅149日目
天気 曇りから晴れたかと思うと雨が降る
芭蕉が歩いた道を歩いてみる
「閑さや岩にしみ入る蝉の声ーーー」
そう歌った芭蕉の句だが、
日曜日の今日は人も多くわりと賑やかで
時期が早いからか、蝉の鳴き声も聴こえてこない。
山寺は天童市から山に向かって東にずっと
進むと見えてくる
山があり、谷が流れるそこに
ひっそりとある観光地で
落ち着いていて、荘厳な雰囲気を漂わせている。
山道に入る手前にあるお寺
標高2、3百mはあるであろう山に沿う形でお寺が連なり
山頂には大仏殿と奥の院と呼ばれるお寺がある
どちらも貴重な物を祀られたお寺で
そこに辿り着くにはひたすら石段を登る。
以前登った羽黒山よりは山頂までの距離は短く
大したほどではない。
でも千段もある階段はけっして楽な道のりではなく
汗をダラダラ流しながら
ひっしで上まで登り続けた。
山道入り口
道の途中にはたっくさんのお地蔵さんが並んでいて
常に見守られながら上を目指す。
言い伝えによると
階段を一段一段登るごとに
煩悩が一つずつ消え去るそうで
登りながらも気持ちが軽くなっていくような
心が浮き足立つような、、
などと感じつつも、いつからか頭の中は
暑い、、シンドイ、、早く休みたい、、大きなプールに勢いよく飛び込んで
ガブガブと泳ぎながら水を飲みたい、、
と、頭の中を支配し
これを煩悩と言わず何だと言うのかと思いながら
ようやく山頂へと辿り着いた。
しっかりとお参りをし
今度は山寺で一番有名な景色へと歩いていく
慈覚大師が築いたお寺は建物こそ建て替えられてはいるけれど
ずっと何千年もの間、ここにあり
我々の踏みしめる山道も
昔からあって、たくさんの僧侶や歌人が
ここを通っていった。
煩悩こそ消えたかどうかは定かではないが、
どこか感慨深く、
どこか誇らしくもなる。
左の赤い建物は山寺の中では一番古い建物である
下から眺めるととっても綺麗な景色
「五大堂」
大きな岩の上に作られた建物で、岩から突き出るように建てられている。
ここからの眺めが本当にキレイ
なんというか、、邪魔な物が何もない景色である。
来た道を戻ると
ぞろぞろと休日のためか大勢の観光客とすれ違う
どの人も顔を真っ赤にしながら
ゼエゼエと必死で階段を登っており
「まだ着かんのか?」と嘆いている横を
颯爽と通り過ぎる。
どこか爽快な思いを抱きながら煩悩が一つ消えたことを
実感した。
つづく
リョウスケ
100名城 山形城
山形に唯一ある100名城。城跡として遺構だけが残る城は、かつては東北でも随一の大きさを持つお城だった。築城されたのは1300年代頃で、最初は小さい物だったのを、城主が最上義光という武将に変わったことがきっかけで、大きな城になる。彼は関ヶ原の戦において、東軍について活躍したことを徳川家康により認められ、57万石を譲り受けた。その後、彼が行った政策はいまの山形の地盤を作るほどのもので、お城や城下町を大きくしただけでなく、最上川の施工、山寺などの宗教文化財の保護、能や芸術などにいたるまで、彼が山形に与えた影響は計り知れず、いまも脈々と受け継がれている。
城自体はすでに残っておらず、明治期には堀なども埋められ姿形もなく消失していたが、昭和に入り、発掘調査を地道に行い、いまでは東門櫓と呼ばれる建物は完全に復元されており、中を見学することも出来るようになっている。その後、現在では本丸跡地の発掘調査が続けられていて、いずれは本丸の復元も考えられている。
一時代にこの人がいたから今があるのだと誇れる存在は偉大である。
どの都道府県にも、何百年と元を辿れば、必ずそんな人物は存在する。
何も知らずのうのうと生きていくことも出来るけれど、自分の故郷のことを知ることって、いまを生きる上で大事なことだよなって思う。小学校のとき、もっと真面目に先生の話、聞いときゃ良かったな、、と少し後悔した。
《ギャラリー集〜》
猫ちゃん!
この岩が仏に見えると幸せになるって
、、、見えるかーい!!
5、7、5の俳句のリズムになった階段
なかなか小粋である
松尾芭蕉記念館に行った。奥の細道を中心に、芭蕉の真筆の作品が置いてあったり
芭蕉の生涯を作品を通して知ることができる。
こういう落書きが私には理解ができない
どういう神経で書いたのだろう、
本当に一度地獄に落ちればいいと思う