チャリ旅日記

旅のことや日常のことを気ままに綴るよ

初めての焚き火に挑戦する

 


どうもリョウスケです

 

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◯心のどこかで苦戦することを期待していた自分がいる。苦労して試行錯誤を繰り返してようやく成功する、というプロセスを経て、キャンプの楽しさ、焚き火の奥深さを実感として体験するという流れを心のどこかで求めていた。

◯そうなってこそ、次やる際には今度こそスムーズに火を起こしてやるぞ! と新たな課題が生まれ、それが次やるモチベーションに繋がるはず。

◯なのにである!!

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◯眼前で火が元気よくメラメラと燃えたぎっている。

◯火起こしにかかった時間、、、わずか8分。呆気なくいとも簡単に付いてしまった。

◯本来ならこれは喜ぶべきことかもしれない。

◯ところが私は苦戦を強いられることを期待していたのである。ーー約束が違う!

◯そりゃ不安もあったから、事前に焚き火の本を熟読し、必要となる薪や着火剤だけでは飽き足らず、小枝や杉の葉をわざわざ神社で拾い集めて持っていき事前準備を完璧に遂行。

◯本番でも本に倣ったやり方を忠実に再現して。

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f:id:kryo428:20231027201839j:image(着火剤を先に置き、その上に燃えやすい枝や葉を被せ、細くカットされた薪から順に空気が通る形に組むと、着火剤から火を付ける)

◯それでも思い通りに火が付かない現実にまんまと打ちのめされて、苛立ち焦りながら散々死闘を繰り返した末に、知識だけではどうにもならないという現実を身をもって体感したかった・・・のに、一夜漬けの事前知識だけで完璧に火が付いてしまったのだ。

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◯これじゃつまらないじゃないか!! と誰に言うでもなく激昂してみる。虚しく響くその怒りの責任の矛先は、むろん前日から準備を怠らなかった自分にすべてあると言えるので、余計にメラメラと腹がたった。

◯そうだ、スムーズに物事が進めばいいという問題ではない。苦戦するプロセスにこそ価値がある場合だって間違いなくある。

◯そういう意味では、この焚き火は成功でもあり失敗でもあるというわけで。この現象を『成功の失敗』と名づけてみるのもやぶさかではない。

◯つまりは、その焚き火で挑戦した焼き芋が『まっくろくろすけ』になってしまった出来事は、このキャンプにおいて成功の失敗による失敗の成功となるわけだから・・・なんだかよくわからなくなってしまったが、ここから一つ言えることは、失敗した焼き芋によって私の心は少し満たされたという話であった。

f:id:kryo428:20231027202013j:image⚠︎まっくろくろすけになった焼き芋

 

 

ソロキャンへの道

 


どうもリョウスケです

 

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ソロキャンをしてみたい!


という憧れがある。

 


焚き火をしながら自分の人生について

ぼけっとあてもなく想像を膨らませてみたい。

ちょっとしたキャンプ飯にチャレンジして

黙々と一人で鼓舞を打つのもいい。

 


そのためにはそのための道具が必要だった。

幸い一人旅をしていたおかげで

特にお金がかかるテントやシュラフはすでにあって

あと必要なのは、

折りたたみのキャンプ椅子と焚き火台だった。

でもこれが、

私の頭をうんとたくさん悩ませている。

 


ーーどの程度のもので妥協するかだ。

 


キャンプ道具はピンキリである。

安くてこだわりさえなければ

数千円で手に入るものもたくさんあるが、

高くて機能性に優れたものを選ぶとなると

数万円はくだらない。

その分、丈夫だったり物持ちもよかったり

何よりモチベーションも上がるため、

道具へのこだわりは、

キャンプをする上でとても大事なことである。

 


でもそれは、

どの程度でどの範囲までなら許せるか・・・、

というのは人によってさまざまなため、

ここが一番の悩みどころでもある。

 


いいものはとにかく高額!

機能性が高ければ高いほど

値段は2倍3倍と跳ね上がる。

 


だからといって、

安く適当なものを選んでしまえば

もう少し考えて買うべきだったと

あとで後悔する可能性だってある。

それはそれで悔しい。

だったらどうせ買うならと

機能性を重視して高いものを選んだ方が

後悔しないで済むかもしれない。

かといって、

高ければいいという問題では勿論なく、、、

 


この辺りのバランスが非常に難しい。

しかも実際使ってみないとわからないという

賭け要素も存分にあったりする。

 


金持ちの道楽であれば

とりあえず購入してみて使っていくうちに

自分のスキルや好みに合った道具の質に気付いて、

それからまた新しいものを改めて購入し直す、

というやり方もできるだろう。が、

貧乏クソ野郎のこの私が

そんな贅沢なことできるわけがない。

 


どうしたって一発勝負だ!!

 


高すぎず安すぎず機能性に優れており

さらにデザインも好きな感じの、

そんなやつを、

ネットの海を彷徨いながら

あらゆる熟練者たちの口コミを参考にして

これだ! というのを選ぶのだ。

 


ギャンブルに近いこの行為だが、

でもこれはこれで楽しい。

むしろ道具選びに苦悩するいまが一番楽しいと言えなくもない。

 


可能性は無限大。

私のソロキャンへの道は、まだ始まってもいない。

 

 

自費出版文化賞に応募してみた

 


どうもリョウスケです

 

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どうせダメ元で申し込んだんだから

どんな結果になっても、

そんなにダメージは受けないだろうと思っていた。

 


いくら素人の作品を集めたコンクールだったとしても

自分の書いた書籍が他人に認めてもられるほどの出来じゃないことぐらい、

少しぐらいはわきまえているつもりである。

だから申し込んだ理由としては、

ちょっとした好奇心と、

もしもマグレで受賞できたらラッキー!くらいの、

耳くそほどの小さな期待でしかなかった。

 


別に結果なんてどうでもいい。

たいした結果じゃなくても、

誰も認めてくれなくても、

それがあたり前だと受け止められる

 


そう、そのつもりだったのに・・・。

 


忘れた頃に届いた自分宛の封筒を受け取って

ドクンと心臓の鼓動が高鳴った。

まさか、、という期待値が

急速に心臓のボリュームを上げていく。

 


そのドキドキを隣にいた母親に悟られまいと

わざと気丈に振る舞って

「たぶん、これは別の案内だよ。きっと、、、」

とあえて期待を打ち消す言葉を呟きながら、

封筒の口を

逸る気持ちを抑えてハサミで切り取る。

 


「いよいよ結果発表か」

 


唾をゴクンと一つ飲み込むと

中にある紙を

ドキドキしながら取り出して、、

 

 

ーーが、ところがまず、

 

紙に書かれた「残念ながらーー」の文字が目に入ると

すうっと盛り上がった期待値が、

風船みたいにあっという間に萎んでいった。

そしてそこで初めて、

結果に落胆する自分の存在に気がついたのである。

 


もちろんダメ元のつもりだった。

ダメ元のつもりだったけど、

それでも応募したからには

どこか密かに期待していた自分がいたようで。

はっきりダメだと突き付けられて、

初めてそんな自分の本音に触れたのだ。

 


そうだ。頑張った分だけ認められないと辛い。

所詮は素人の書いた自己満書籍だったとしても、

ダメ元で応募したつもりだったとしても、

認められないとこんなに悔しい。

胸がざわざわと苦しくて駄々をこねる子供のように

喚き散らしたいのを必死に抑える。

 


「そりゃそうだよ。無理に決まってんじゃん」

 

それでも尚、母に気丈に振る舞う自分の言葉が

部屋に虚しく響き渡り、鼓膜を静かに震わせた。

 


文書には、一次審査には通過したが

二次審査に通過しなかった旨が記されていた。

 


その結果をどう捉えていいかわからず(そもそもどれほどの作品数があって、どれほどの作品が一次を通過したかもわからない)

それでもちょっとした慰みにはなるか、

と自分の心にエールを贈る。

 


文書を破り捨てたいのを我慢して

これがいまの私の実力だと

素直に受け止め、

未来に繋げていかないと

苦労した経験全てが無駄になってしまう。

 


がんばれ、わたし!

負けるな、わたし!

 


母には相変わらず結果に関心がなかったように振る舞いながら、

部屋に戻ったら静かに泣こうと

震える心を優しくそっと愛撫するのだった。

 

 

8%の秘密

 


どうもリョウスケです

 

 

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私の秘密をここで一つ打ち明けよう。

 


ーー実は、

おへそのちょっと下あたりに

細長い毛が一本だけある。

右手小指の関節のちょっと下あたりに

そこにもなぜか、

細長い毛が一本だけある。

 


彼らは何を思ってそこに佇んでいるのだろう。

毛の気まぐれということだろうか。

 


やつの存在にうんざりしてくると、

思い切ってぷちっと

抜いてしまうこともあるが、

数週間後には元の状態に再生していて

また私をうんざりさせる。

 


小指の毛は1.5センチ

おへその毛は3センチ

 


別に目立つほどではないし

いまのところ

誰かに指摘されたこともない。

 


気付かれていないのか

気付いても言わないだけか

そもそも他人の毛事情に

誰も関心を持たないからだろうか。

 


だけど、私にとってはどうでもよくない存在だ。

彼らの存在が私の一日の意識のうち、

8%ぐらいを支配していて。

日常生活に支障が出るほどではないが、

この8%の隙間に

何かもっと有意義な物事を詰め込んだら

私の生活は一変して薔薇色になるかも知れない。

そんなふうに想像したら、

なんとかせねばと、

私の頭を痛いぐらいに悩ますのである。

 


毛をなんとかしたい。

かといって

生えるたんびに抜くのも邪魔くさい。

 


毛を一本だけ脱毛しようか。

一本でいいのだから

コンビニでガムを買うくらいの気楽さで

脱毛できたらいいのだが、

そんなわけにはいかないだろうか。

 


下手すると数万円くらいはかかるかもしれないし。

たかが8%の隙間ごときに

そのお値段はさすがに無理!

とてもじゃないが諦めざるを得ず

そするとこの先も、

ずっと、この毛が私を悩ませるに違いない。

 


10年後も20年後も、

還暦を迎え後期高齢者と呼ばれても

おへそと小指のチョロ長い毛に

ずっといつまでも

棺桶に入れられるその日が来るまで。

日々の生活に悩み、世界情勢に悩み、年金に悩む間も、

常に心の8%には、

この毛の存在が付き纏うのである。

 

 

ああ、ああ、ああ、、、

 

 

これが私の抱える8%の秘密だった。

 

たまには言いたいことがある

 


どうもリョウスケです

 

2023年10月8日日曜日

天気 くもり

 

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正義とは振りかざすものではなく

懐にしまって貫くものだ

 


ーーと、私は考えている。

 


人は時に正論として他者に牙を向け

歪んだ正義感で人を平気で傷つける。

 


そもそも正しいとされるその基準自体、

国や時代や文化や権力者の存在によって左右されるというのに、

人はなぜかそいつを信じて疑いもせず

他者を痛めつけて苦しめて

叩きのめすまで攻撃をやめようとしない。

 


この世は論破ゲームである。

理論武装で、

言い返せなくなったやつが負けの世の中。

 


でも人は矛盾した感情を持つ生き物だと思うから、

犯罪者がみんな悪人ではないし、

聖職者だってたまには嘘ぐらいつく。

それを肯定し受容して

寛容に受け止める心が必要だと私は思う。

 

 

だから、正義をふりかざし

うがった心で他人の揚げ足取りに勝ち気になって

日々のストレスのはけ口に利用して。

 

 

とんだ傲慢な勘違いヒーローたちを私は軽蔑する。

 


正義の押し付けなんて見苦しい。

人は間違うし、嘘もつくし、自分勝手なんだから

自分の至らない部分は

自分で正していけばいいだけのこと。

 


人と人とが生きていくとは

相手のダメな部分に無関心でいることだと思う。

 


他人に過度に期待しないことが

平和な世界を築くには

重要だと、

誰に押し付ける気もなく呟くのである。

 

 

そろそろそんな年頃か

 


どうもリョウスケです

 

2023年10月3日火曜日

天気 くもり

 

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ある友人が結婚したと知らせを聞いて

ーーついに来たか、、、

と驚きとも喜びとも悲しみとも寂しさとも

少し違う感情が内に広がる。

 


思えば私も彼も割といい年齢である。

世間で言えば結婚しても不思議ではないどころか

子供の二、三人はいてもよく

職場ではある程度の役職につき

会社の中核を担うポジションを任されていて

プロスポーツ選手なら、種目によっては

引退して新たな人生を踏み出す人もいる。

 


そんな私は、私だけの独立国家を

いかに快適に暮らせるかに、

尽力する日々を謳歌するダメな大人だった。

 


だっただけに、まさか同族(彼には悪いが)だと思っていた友人が結婚をするなんて。

 


私の周りで結婚したのは彼が初めてだった。

これまで私の身近な人間で

結婚した友人がいなかっただけに、

これはもしかしたら遠回しに自分の責任ではないかと気付き、

無意識な負の念を友人各所に呪いのようにばら撒いていたのでは?!

などと、自意識過剰な罪の意識に

頭を抱えて過ごしてきたが、

ついに第一号が結婚したとあれば、

これで私の責任論は消滅したと考えていいだろう。

 


そういう意味ではホッと安堵したのも事実だが、

同時に、友人が遠くの世界に行ってしまったような

深い喪失感がないかと言えば嘘になる。

 


結婚など遠い未来の話だと思っていた、

あの頃からの長い付き合いだ。

 


彼がちゃんと大人だったことに驚愕し、

同じ歳の自分もまた、

そんな大人になっていたことに気付かされる。

 


そろそろそんな年頃ですか。

いや、だけどまだ一人目なわけだし。

うーん、でも・・・。

と私の胸中では複雑な想いが渦巻いているが、

 


これだけは彼に伝えておきたい。

おめでとう。

幸せになってください。

そして、

どうか忘れないでほしい

私という友人がいたということを!!

 


これからもこの先も、私はワタシの王国をより快適にすることにのみ全力を尽くす所存であるが、

責任を感じずに済むようになった今、

その身勝手な想いは

さらに拡大していくことをここに宣言しよう。

 

 

高速道路は疲れるだけだ

 


どうもリョウスケです

 

2023年10月1日日曜日

天気 くとり

 

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高速道路は頭を使う。緊張感もするし、神経も使う。ーー故にかなり疲れる。

 


普段ださないスピードで走行するだけで心臓がバクバクするのに、他のクルマの存在が気になり始めると、気になって気になって運転に集中できない。

後方を走るクルマに「こいつ遅えやつだ」と思われたらどうしようかと不安になったり、逆に前方を走るクルマが遅いと抜かすタイミングに頭を悩ませたり、他のクルマの影響で車線変更をミスらないかといつも気が気でなかったり。バクバクバク・・・。

私はクルマの運転が嫌いではないが長距離運転には向いていないらしい。

抜かされる分には平気である。むしろ慣れていると言ってもいい。なぜなら、チャリンコでも抜かされる、という経験をよくしてきたからだ。ロードバイクのお兄さんに抜かされるのは当たり前。ボロのママチャリに跨ったおじいちゃんに抜かされるのは屈辱的で、あれは地味に敗北感で傷つくから好きではないが、それでも慣れてしまえば平気だった。

ーークルマでも同じことだ。

抜かされることは全然平気。むしろどうぞご自由にとさえ思う。だが、抜かして欲しい時に限って抜かしてくれないクルマが苦手で、謎に私のクルマの後方をキープして、数十キロもの道のりを、私のスピードに合わせて走るクルマは不気味でもある。早く抜かしてくださいお願いします、と念じながら走るのだ。

逆に自分が抜かさなければいけないシチュエーションも苦手である。

高速なのに酷く遅いスピードで走るクルマと遭遇した時、どうしようかと頭を悩ませる。抜かすのは苦手だ。慣れていないだけに、スムーズに抜かせる自信がない。よっぽどでないと追い越しはしない主義だが、例によってよっぽどのスピードで走るクルマと遭遇すると、そういうわけにもいかなくなる。

近くに他のクルマがないことを確認し、少しでも周囲にクルマがあれば様子を伺い、完全にいなくなったのを見計らうと、全集中で勇気を振り絞って追い越し車線へ、、、これだけのことだが、私にとっては清水の舞台から飛び降りる覚悟が必要なのだ。なるべくしたくないから、基本的には左端を無難に走り続けるようにしている。

鉄の塊でできた彼らは、私の目には人の群集にしか見えない。それぞれが意思を持ち、時に優しい人もいれば、時に冷たい人もいて、時に何を考えているかわからない人に翻弄される。その都度感情が揺さぶられ、戸惑い、焦り、ヒヤリとしながら、高速を下りた時にはホッと息をついて、通常の運転の数倍疲れていることに初めて気づくのである。

運転は嫌いではない。でも、高速はやっぱり苦手なのだ。

効率を優先させたシステムよりも、遠回りでも着実に自分が自分でいられるペースで走り続けられたらいい。クルマの運転も、人付き合いも、人生も。

・・・なんて。