どうもリョウスケです
◯全国のお城をたくさん巡った私だが、地元の慣れ親しんだお城のことは、知らないことがいまだに多い。どんなお城で、いつから存在し、いつ廃城になったのか、まるで何も知らない。こいつはかなりの恥である。他県の名高い城跡ばかり夢中になって、最も身近なお城のことはろくに知らない。それではまるで他人の功績ばかり自慢して、貧相な自分の人生には蓋をして見て見ぬふりと同じである。
◯これはいかんと自分の愚かさを反省し、初心に帰るべく、『長浜城』について改めて現地で学習してみよう!
◯そう意気込んで訪れたはいいものの、あることがここで判明した。というよりも、知らなかった理由がこれによって判明したのである。
◯実は長浜城は、そもそもわからないことが比較的多いお城だったのだ。わかっているのは豊臣秀吉が織田信長の指示を受け、初めて築城したお城であるということ。その後、一国一城令によって徳川政権下で廃城したということ。主な遺構は彦根城創建時にほとんど再利用されてしまったということ。
ーーわかっているのはそれぐらい。
◯どの程度の規模だったか、正確な城の位置、建物の数や形状は資料が存在しないため定かではない。わからないことばかり。つまり、そもそもわからないから知らないのであり、わからないのだから仕方がないということ。その事実は、知らないことを恥だと嘆く自分には腑に落ちる内容ではあったが、知りたいという望みは盛大に裏切られ、残念な想いは拭いきれない。
◯もしも遺構がたくさん残っていたら百名城だ。もしも天守がそのまま残っていたら国宝になった可能性だってある。もしも歴史的価値が高ければ世界遺産も夢じゃない。
◯そこまで高望みしなくても、ある程度でも残っていたら、それだけで私の心は満たされていたはずである。・・・だけど、わかっているのだ。
◯この街は私のルーツである。歴史を知らなくても、ここにお城があったからこそ、この街は発展し、いまに繋がっている。たとえ歴史から消されても、あったことがなかったことには絶対にならない。『長浜』という地名も豊臣秀吉がつけた名前で、それがいまも地名として残ることによって、我々のアイデンティティの一つを支えているのだ。
◯だから、ここに存在したという事実だけでそれだけで本当に私は満足なのである。ーーたぶん。