どうもリョウスケです
旅107日目
2022年9月26日月曜日
天気 曇り
広島[広島市]
戦争を語るのに最も適した人材とは
どういった人たちだろう。
平和記念公園に訪れると多くの中高生の姿をよく見かけた。
彼らは誰しもが学生服姿で、
おそらく学校の平和教育で訪れているのだろうなと想像がつく。
そんな彼らを引率しながら公園内を説明して歩く人たちの姿があった。
戦争について語るガイドさん
この人たちのおかげで学生たちは
現地でしか学べない戦争のことをより深く知り、
ここで学んだことが
やがて平和について考える礎となっていくのだろうなと思いながらも、
ふとあることが気になって仕方がなかった。
それは、彼らを連れて歩く語り部たちの
年齢層である。
聞き手が大人だとしたらそれほど関係がないのかもしれない。ところが相手は大人たちに連れられてここに来ただけの学生たちである。
見るからに退屈と憂鬱さが全身から滲み出ていた
そんな彼らの興味をより惹きつけるには
誰でもいいと言うわけにはいかず
語る人たちの年齢層も重要だと感じる。
たとえば、
戦争体験者のお年寄り。
この人たちの語る話には説得力がある。
リアルな戦争の情景が
より鮮明に学生たちに響くはずだ。
ところが年の離れた彼らの話に学生たちは潜在的に難しいと感じるかもしれない。
何よりどこか説教くさい雰囲気を勝手に抱き、プレッシャーを感じてしまう若者がいてもおかしくはないと感じた。
たとえば、
現地に住む中年のボランティアガイドさん。
この人たちの話には一定の説得力がある。
話上手な慣れた話し方は、
学生たちにもよりわかりやすく伝わるはずだ。
だが、どの程度学生たちに響くかどうか、、、
彼らは相手が大人だというだけで授業と同じ退屈さと憂鬱さを勝手に抱く習性があり、それが苦手意識に繋がるかもしれないとも思われた。
たとえば、
大学生の若者たち。
個人的には中高生に最も相応しいと感じたのが彼らの存在だ。年の近い彼らの話は、学生たちにも抵抗なく届くに違いない。
説教くさい雰囲気もないだろうし、次代を担うプレッシャーを共に背負うチームメイトのような感覚すらあって、
最も適した語り部ではないかと思う。
それでも戦争の語り部には説得力が必要である。
聴き齧っただけの話をする若者と
実際に体験をしたお年寄りと
あたかも体験者のように話せるガイドさん
さて、最も学生たちへの語り部に相応しいのは
いったいどの人たちだろうか。
原爆ドームを遠く眺めながら、
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広島城ーー毛利元就の孫の毛利輝元によって築城。関ヶ原以後に萩に移封となったため、その後は別の武将が収めていたが、この城がここにあったからこそ、いまの広島があると言っても過言ではない。
二の丸平櫓ーーすべて木材で復元されている。まだ新しい。説明によると、戦後すぐに復元されたお城のほとんどは鉄筋で復元されたのに対して、最近になって復元されたお城ほど、当時の素材とやり方にこだわって復元されているらしい。
これも復元されたもの。戦前までは天守も残っていたそうだが、原爆の投下によって崩壊。戦後すぐに再建されたため、こっちは鉄筋造り。現在では博物館となっている。
しろうニャーーお城のゆるキャラだそうです。うーん、どっかで見たことがあるような、、、て、なんか似てない? というか、白い猫はお城のゆるキャラでもう使っちゃダメでしょ。
原爆ドームーーここに来るのは3度目。けっこう思い入れは深い。来るたんびにハッとさせられる。
献花台
モニュメントの一つ一つに意味がある。それぞれに誰かの強い想いがある。
平和記念資料館ーーじっくり見過ぎて閉館までにすべてまわれなかったのが心残り。