大阪城!!
どうもリョウスケです
旅15日目
2023年4月14日月曜日
天気 くもり雨
右を見ても左を見ても外国人
今日は平日だから
人が少ないはずだと思って訪れたのに、
外国人のツアー客でほぼ鮨詰め状態。
前へ進むにも
相手のペースに合わせて進む必要があり、
ストレスが溜まって仕方がなかった。
まさかこんなに大人気だったなんて、、、
大阪城である。
豊臣秀吉が築いた巨大な城郭。
とにかく驚くのは復元された天守閣も立派だが
それより何より超巨大な石垣だった。
一つ一つが人の背丈を越すものばかり。
中には中型トラックぐらいの大きな物まであって
それをどうやって運んだのだろう。
説明では小豆島から船で運んだとのことだが、
当時の船でこれだけデカい石を?
なぜ沈まないのか疑問が募るばかりだ。
堀も巨大すぎである。
水堀は泳いで渡ると相当時間がかかる大きさで
そこを苦労のすえに渡れても、
次に訪れる巨大な石垣を登るのだって
全然容易ではないはずだ。
完璧な水堀に、鉄壁の石垣に、周囲を監視する櫓の数々。
想像しただけで物凄いお城である。
城の規模でいうなら
江戸城を凌ぐ大きさだったと言われており、
その理由は、
豊臣時代の大阪城を完全に埋め立て
その上に城を築くにあたり、
徳川幕府の権威を最大限見せつけるため
必要以上に物凄いお城が出来上がってしまったからだという。
ちなみに豊臣時代のお城の遺構は現在完全に土の下に埋まっており、
掘り起こさないと出てこない。
本来だったらそのお城の遺構を
再利用した方が手っ取り早いし
築城費用だって
ある程度抑えることもできたはず。
なのにそうまでして豊臣の存在を打ち消してまで
徳川の権力をその遺構の上に築こうとした
その執念は、
ある意味とっても恐ろしい。
徳川幕府にとっての豊臣家は
それほど絶大な存在だったということが、
その事実からは伺う知ることができるのである。
そして天守閣だった。
この復元天守は、
日本で初めて近代に復元された鉄筋コンクリート式の復元天守で、
中は博物館となっている。
展示内容は
大阪城が舞台となった豊臣家が滅亡した「大阪の陣」に関する展示から、
豊臣秀吉や秀頼関連の展示
大阪城築城の歴史に関する展示まで、
興味深いものがたくさん。
ところが、
一つ一つじっくりゆっくり見たかったのに
右を見ても左を見ても外国人観光客。
平日だからゆっくり見れると思ったのに、
海外からきた外国人に
休日も平日もあるわけもなく。
まさか大阪城がこんなに人気のスポットだとは。
先日訪れた姫路城より
もしかしたら多いように感じなくもない。
ーー入口の様子
海外からも注目される偉大なお城に
日本人として誇っていいのか
旅人として嘆いていいのか
平日でこれだけすごいのだったら
休日だともっとすごいのだろうし
とするといつ来たってすごいということだから
つまりやっぱり、
大阪城は偉大なお城だということなのだろう。
家が近いばっかりに少し舐めてた大阪城は、
その遺構のすごさも驚きなら
海外の人たちからの人気もすごくて驚きで、
そんな側面からも
改めて見直さざるを得なかった驚愕のお城である。
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バカでかい堀
現存する櫓はけっこう多い
ちょっと目を向けると都会が広がっていて、このアンバランスな風景が大阪城と江戸城のある意味魅力かもしれない。
大きな石垣がゴロゴロ
織田信長と戦った大阪本願寺は大阪城の現存する場所に存在していた。初めて知った。何かしら因果関係があるのだろう
門を抜けると天守閣
蛸石と呼ばれる超巨大な石垣。両手を広げた大人が5人ぐらい横に並んだぐらいの幅と、一般的な巨人の背丈ぐらいの高さ(適当)がある。
元陸軍の第四師団司令部庁舎。現在はお土産屋さんや飲食店の入った観光施設として利用されている。外国人の観光客がそれを知ってか知らずか笑顔で建物をバックに写真を撮っていたのが印象的だった。
なんだこれは
大阪万博の時に埋められたタイムカプセル。解放するのは5000年後だって。果てしねえ!!
地面に埋まった豊臣期の石垣発掘作業中
何年後かの公開に向けて工事が進められている。クラファンもやってるらしい
豊臣時代の遺構はすべて土の下である。表面に出ている遺構は全部徳川時代のもの。全部っていうのがものすごい
大阪の陣の屏風絵
それを人形で再現
最上階からの展望。城の向こうは高層ビル群が建ち並ぶ
たぶん狭間
豊国神社。大阪城内にある
豊臣秀吉さん。
大手門
スケールが大きい景色ばかり。残された建造物の遺構だけでいうと、姫路城の方が圧倒的にすごいけど、城全体の規模で言うなら、大阪城が一番だと思う。どっちみち百名城巡り終盤でこの二つの城に行けたことがラッキーだった。あとはあえて最後に残した彦根城だが、、、ハードルががが