どうもリョウスケです
旅54日目
2023年6月4日日曜日
天気 晴れ曇り
伊賀といえば忍者の里があった地域である。
忍者なんて創作物のイメージだった。
どれも漫画やアニメで馴染みのあるものばかり。
むしろ忍者といえば
それら漫画の印象が強烈なだけに
実在したものという認識がどことなく薄い。
手裏剣に荒唐無稽な忍術
そんなもの本当にあるのだろうかと
疑っていたが、
実際に、本当に存在したらしい。
手裏剣にクナイ、水の上を歩く器具、
家の至るところにある仕掛け、、、
どれも想像上の忍者が使うものばかり。
多少のデフォルメされた表現はあるみたい(衣装であったり道具の使い方であったり)だが、
いくつもの細かい説明や
忍者というものの本当の役割を知ると、
実在したのは間違いなさそう。
カッパやツチノコとは違う ←さっきまでこれらと同格だった
忍者は本当に実在していた!!
思えばわたしは滋賀県出身で
滋賀といえば伊賀とともに忍者の里で有名な
甲賀忍者の里があった地域である。
にも関わらず忍者の存在に懐疑的だった私は
忍者集団から総出で手裏剣で滅多刺しにされ
火遁の術で火炙りにされ
分身の術でタコ殴りにされると
螺旋丸(ナルトの必殺技)
でトドメを刺されて終わりだろう。
そうはなりたくないので、
わたくしここいらでドロンさせて頂きます!
とひと昔前のお気楽会社員よろしく
颯爽と逃げようと思う次第である。
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天守閣
たいがーくん。スマスマ出演経験あり
伊賀上野城を築城した藤堂高虎。築城名人で有名。思えば百名城巡りでこの人の名前をよく耳にする。偶然かもしれないが、それだけ後世にも残るほどの名城を築く天才だったということ。
藤堂高虎の兜。横の耳みたいなやつ絶対に邪魔だった説。秀吉から拝領されたものだという。当時は戦場で目立った方が良かったと考えられていたとはいえ、これは秀吉の嫌がらせだったに違いない。きっと、、、
派手な兜特集
最上階
この人が天守閣を復元した人。この天守は昭和十年に復元された天守閣で、当時鉄筋コンクリートで復元するのが主流だった時代に、あえて日本建築の美を追求して木造で築城されている。ーーというのを知って、おっちゃんわかってんじゃん! と言いたくなった。
は、忍者!?
日本で一二を争う高石垣。下は水堀になっているため、下から見上げることができないのが残念だった。上から見下ろすとかなり怖い。
忍者博物館。忍者の使っていた道具の解説や、忍者の仕掛けがたくさん施された屋敷が見学できたり、忍者について様々なことが学べる施設。プラス五百円で忍者ショーも観覧できるが、それはまた次の機会に。
忍者屋敷の中
隠し武器
紐を引っ張ると階段が出現し、上階の部屋に行ける仕組み。
仏壇の下にも部屋が
武器や忍び道具
忍者衣装。よく知る黒装束だと逆に目立つため、よくしていたのは商人や市民の格好だったという。
水の上を歩くあれ
忍者は火薬に長けた集団だったらしい
忍者の祖
忍者の書物
道具の使い方などが書かれている
かお
俳聖殿、伊賀は松尾芭蕉の故郷。この建物は芭蕉をイメージして生誕三百年を記念して建てられた。
中に芭蕉さん
芭蕉翁記念館。彼の作品がいくつか展示されていて、中には本人が実際に書いたとされる真筆も展示されている。想像通りに達筆!
芭蕉さん 駅前
松尾芭蕉生誕地
建物も。
すごい名前の駅
メーテルさんがいた。
芭蕉さん 支所前
伊賀を越えると甲賀に続く。こんなに近くに隣接していたのに驚きだ。お互いの里の忍者が合同で訓練のようなこともしていたという。
テントを張ろうとしたらポールが折れました。終盤にきて最悪、、、五年も使ってりゃ仕方がないか。