どうもリョウスケです
旅104日目
2022年9月23日金曜日
天気 曇り
特攻といえば航空機による必死の
体当たり攻撃を真っ先に思い浮かべる。
だがあの時代、
日本軍が行った特攻には他にもいくつもの
特攻の作戦があった。
その一つが「回天」である。
回天とは魚雷に人が乗り込み
自ら魚雷を操作して敵の艦隊に体当たりするという
人間魚雷と呼ばれた非道な作戦である。
あまりに残酷すぎるこの作戦は、
ある島で秘密裏に訓練され実行されて来た。
その島が山口県にある大津島だ。
島に降り立つと
まず出迎えてくれるのが「回天の島」と
書かれた大きな看板だった。
そこからもわかる通り、
島は回天の訓練基地があったという以外では、
住む人の数も少なくて
静かでのんびりとした雰囲気が漂う島である。
設置された看板の案内に従って
坂を登っていくと
見えてくるのが「回天記念館」だった。
回天の歴史や構造
訓練内容の詳細など。
世の中にほとんど知られていない
回天のことが、
ここではいろいろと学ぶことができる。
それによると、
回天の訓練はとにかく厳しいものだったらしい。
航空機と違い、回天は
ほとんどその操縦技術の全用途が特攻作戦にのみ限られていた。
鉄の棺桶とも言われた回天に乗り込むと、
あとは敵の艦隊に激突する以外にはその技術の用途は皆無だったため、
それはつまり死ぬためだけに操作を覚え
死ぬためだけに厳しい訓練に耐えていたということに他ならない。
操作の難しかった回天を操縦するために
一から技術を学び習得し
早い者だとたったの二ヶ月で決行!
そのため短い期間でより難しいとされる魚雷の操作方法を会得しなければならず
訓練もかなり厳しいものだったという。
ーーふと思う。
死ぬために厳しい訓練に耐えるモチベーションは
どこから生まれてくるのだろう。
どんなに厳しい訓練に耐えたところで、
最終的に行き着くのは死である。
作戦が成功しても失敗しても
死ねば何も残らない
そんなことを思ってしまうことは
回天で死んだ人を愚弄することになるのだろうか。
そんなつもりはもちろんなくて
だけど彼らのおかげで今があるとも思えないわたしは、
彼らの生き方を、
その方法しか選べなかった戦争を、
同情し恨むしかないのだ。
この愚かな作戦を考案した二人の軍人は
二十歳そこそこの若者だったという。
未来あるはずの若者が
絶対必死の作戦に妄信していくしかなかったこと。
その時点でもはや手遅れだったのだと思う。
丘の上からは昔回天の整備工場があったとされる
小学校が見渡せる。
当時の写真と見比べてみても、
この島はほとんど姿形を変えていない。
残された建物も多く
仕切られていた塀もそのままで
まざまざと当時の景色がリアルに想像できた。
訓練で亡くなった人
ここから特攻に向かった人
さまざまな想いの残るこの島は
もっと多くの人々に知られるべき場所だと感じた。
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小学校のグランドの隅には変電所などの建物がまだそのまま残っていたりする。
この階段も当時整備工場と宿舎を行き来するのに使われていた
実寸大の回天のレプリカ。大量の爆弾を積んで人も乗り込んでいたから、かなり大きなものである。
山の上にあった魚雷見張所跡。朽ちてはいても建物としてはまだ丈夫に残っている。
現在では頭の高さぐらいしかないが、当時は極秘に行われていたため、中が見えないよう頭のずっと上まで高さがあったという。
魚雷を引いて発射場まで運んでいたトンネル。レールの跡がかすかに残っている
魚雷発射場ーーこの建物もまだほとんどそのまま残っている。コンクリートって凄いなと、変なところに感心してしまった。
クレーンの跡。魚雷をクレーンで持ち上げて海まで運ぶためのもの
ずっと疑問だったのは、この学校がまだ稼働しているのかということ。グランドには雑草が伸び放題。祝日だったから判断できなかったが、果たしてこの島に子どもはいるのだろうか?
猫ちゃん。