どうもリョウスケです
旅46日目
2022年7月2日土曜日
天気 晴れ曇り
鹿児島[鹿児島市]
鹿児島は産業革命の先駆け的な地だという。
まだ鎖国時代に
限られた情報しか存在しない中で、
海外の文献を頼りに試行錯誤しながら
産業事業に着手していた。
仙巌園と呼ばれる島津氏の旧邸は、
島津斉彬が藩主の時代に集成館としてあらゆる事業を行っていた場所である。
反射炉で大砲を作ったり、造船やガラス細工など、軍事面以外のものにも手を伸ばしていた。
薩摩切子と呼ばれる切れ目の入ったおしゃれで高級なガラス細工を最初に作り始めたのが、ここ集成館だったという。
当時から現存するのは反射炉の礎石ぐらいだが
広大な敷地は歩いて巡るとそれなりに見応えのあるものだった。
広い庭園はいつぞやの武家屋敷庭園とは比べ物にならない。
あれが大金持ちの自慢のお庭だとすると、
これは王家が所有する大庭園だ。
お殿様と武家の違いをまざまざと見せつけられ
武家屋敷の入館料五百円に少し後悔していたわたしは、不思議と救われた気がした。
桜島の存在感が際立ち過ぎる鹿児島は、
園内のどこからでも主張するように岩肌を露出した山景が海を挟んでそびえ立つ姿が眺望できる。
そこからさらに遊歩道を山に向かって登ると
昔島津家の殿様が桜島を見渡すために造らせたと言われる展望台が存在する。
そこまで苦労しながら駆け上がり続けた。
さすがに500メートル続く山道だからか
他の観光客はここまで訪れず、
ひとりぼっちで登山すること三十分。
ようやく辿り着いた展望台は
さすがそのために切り拓いただけはある、
雄大な桜島の絶景が何物にも邪魔されずに眼前にそびえ立っていたのだ。
あの山にもいずれ近いうちに行くつもりである。
勇壮で雄大で度々煙を吐き散らす
生きた活火山。
何百年も変わらないこの景色を
島津〇〇代藩主が望んだ気持ちもよくわかる。
さすがは島津氏だった。
立派な庭園
産業革命遺産群
美しい桜島を臨める展望台
帰り際に島津家の藩主の名前がずらっと明記された
表をもらった。32代まで続いた島津氏。
願わくばその並びにしれっと加わりたいものだと、
表の隅っこに名前を書いてみた。
何してるのだとより虚しくなったのだった。
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そんな全員でやらなあかんか? これ。
島津氏のお屋敷。入館料別途500円と聞いて、即座に諦めたよね。
円を描くように作られた池がある。上流から杯を流して、流れ着くまでに和歌を作って発表するという遊び。本当に昔の人は俳句とか和歌とかが好きだなと思うけど、今で言うSNSで自分の気持ちを呟くのと、おそらく当時は同じ感覚だったんだろうなと思う。
水が溜まると先端が下がって金槌みたいに強く物を叩くことができる装置。その光景が見たいがために5分ぐらい待ったよね
少し雲で先端が隠れているのが残念。それでも美しい桜島の風景