どうもリョウスケです
旅45日目
2022年7月1日金曜日
天気 晴れ
西郷隆盛の生涯に迫る。
鹿児島といえば彼を置いて語ることができない。
新時代を切り拓いた立役者の一人で
西郷どんの愛称で親しまれる鹿児島一の有名人。
鹿児島の中心地の近くには
彼が最期を迎えたとされる終焉の地が存在する。
考え方の違いから明治政府を退き
自ら私学校を鹿児島に設立。
彼を慕う私学校の生徒たちの政府への反乱が
きっかけで
再び日本最後の内乱を起こすと、
終焉の地である地元鹿児島で戦果のすえに息をひきとった。
彼の終焉の地へ赴いてみる。
石碑がポツンと残るそこで銃弾を2発受けると、
彼は無念の死を遂げたのだった。
彼に対する知識はほとんど
「竜馬がゆく」から来ているわたしも、
彼がどれほどの大人物だったかはよくわかる。
竜馬も西郷どんも早過ぎる死だった。
彼らがその後も生きていたら
日本はどんな国になっていただろうか、、、。
そんなifをふと考えたくなる。
会ってみたいなとそう思わせる偉大な人物
でも、きっと会ったら会ったで
男ならもっとシャキッとするでごわす!!
と説教されるのだろう
新時代のためにもっと働くでごわす!!
と無職のわたしに痛恨の一撃を喰らわすのである。
ああいやだ。
怒られるのは誰であっても嫌なのだ。
西郷どんを街中で見かけるようなことがもしあったとしたら、
やっぱり迷うことなく物陰に隠れようと思う。
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島津氏の居城で、西南戦争最後の舞台となった戦地。
石垣には無数に銃弾のあとが生々しく残っている。
西郷隆盛洞窟ーー西郷隆盛が最後の数日間を隠れて過ごした洞窟。覗き込むと大学生の下宿ぐらいの広さしかない。
私学校跡地ーーこれら西郷隆盛ゆかりの地はすべて半径1キロぐらいにある。すべてがここから始まり、そして、熊本城などで戦った後にこのあたりで最期を迎えたのだ。
鹿児島からは目の前にデカデカと桜島が見渡せる。
鹿児島ゆかりの人たちの銅像が街のあちこちに点在する。九州の中でも薩摩は、幕末、そして明治の歴史の中心地の一つだ。数多くの偉人たちを輩出している。