チャリ旅日記

旅のことや日常のことを気ままに綴るよ

少し小難しい明治の産業革命遺産というもの

 


どうもリョウスケです

 


旅36日目

2022年6月22日水曜日

天気 曇りのち晴れ時々雨

熊本[天草市三角西港八代郡氷川町]

 


産業革命遺産はいつも少しだけ難しい。

何となくそれが日本の明治産業革命に大きな役割を

果たしたことはわかる。

でもそれがいったいどのような役割だったのか、

いったいそれがどうして凄いのか、

それを知るまでに実際に訪れて詳細の書かれた

説明を読むまでは、

まったくよくわからなかったりする。

 

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三角西港も、日本の明治産業革命に登録された

世界遺産の一つである。

石造りでできたおよそ700メートルもある埠頭に

当時作られた古い建物がまだいくつか現存する港は

明治レトロを思う存分体感できる。

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この港が評価される理由としては、

明治以降に国費を投じて築港された港の一つであること

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オランダの築港技術が導入されていること

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港だけでなく街全体を一体的に考えて造られていること

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そして、その港がほぼ完璧に

当時の姿のまま残っているということ

 


と言われたところで、

ふうーん。なるほどねえ、、、とわかったつもりで

頷くしかないのだ。

 


細かい部分は専門家や学者にしかわからない。

けれど万田坑の時にもそうだったように、

世界遺産として認められる一番の理由としては

やっぱりそれが残っているかどうかということ、

それに尽きると思う。

利用価値がなくなったら即日廃棄する世の中だ。

断捨離がいいという考え方だってある。

けれど数十年という時が流れて、

いったい何にどのような価値が見出されるかわからない時代でもある。

 


ラクタのおもちゃや古い家電が

現在では希少性から多額の価値に跳ね上がっていることも珍しくない。

 


いらない物を全て残せとは言わないけれど、

自分にとって価値のあった物ぐらいなら

少しぐらい残しても別にいいんじゃないか。

無理に残す必要もないけど

無理に捨てる必要もないんじゃないか。

 


そんなことを都合よく世界遺産や歴史的建築物を眺める度に、

捨てられない性分を正当化するのである。

 


こうして部屋にまた物が増えていくのだった、、、

 

 

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天草四郎とアマビエーーアマビエの石像を初めて見た気がする。意外とでかい


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この蛇行している部分が当時の技術ではスゴイことだとされている。


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小泉八雲の小説の舞台とされている昔の旅館。いまは復元されて休憩室として使われているが、中を覗くとがらんとしていてガッカリ。せっかく復元したならもっと使い方があっただろうに。


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平成4年まで実際に利用されていた裁判所。街に裁判所があったという事実が、この街の重要性を物語っているそうだ。