どうもリョウスケです
旅10日目
2022年5月27日金曜日
天気 晴れ
この旅の面白いところは何かと考えたとき
真っ先に思い浮かぶのは、
これまでの人生であまり知ろうとしなかったものに
遭遇することである。
有田焼は、
私にとって未知との遭遇だった。
陶器と陶磁器の違いは何か。
そんなことも知らなかったわたしである。
有田焼と普通の器と
どう違うというのだろうか。
そんなわたしだったが、
実際に有田焼の歴史から作り方の工程を
学んでいくと
なんとなくその価値がわかる気がした。
歴史民族資料館では、
有田焼の歴史から作業工程を
懇切丁寧に図やアニメーションなどを
用いて学ぶことができる。
江戸時代に朝鮮の技術者によって
広まった有田焼。
あらゆる作業工程を分業制で行い
プロの職人たちの技術によって芸術作品へと昇華したそれらは、
驚くことに機械化が進んだ今でもさほど工程は変わらないそうだ。
人によっては当時の技術をそのまま用いて
作っている人もいるのだとか。
石を掘る人運ぶ人
石を粉砕して粘土状にする人
こねて寝かす人
器の形にする人
焼く人
絵の具を調合する人
絵付する人
仕上げにまた焼く人
様々な役割りのプロの手を介し、
ようやく一つの作品が出来上がるのだ。
・・・うーん、なるほど。
確かに細かい技術がふんだんに使われていて
絵もとても繊細に描かれている。
まさにプロの技術だった。
全てが手作業で昔は造られていたというのだから
尚のこと感嘆せざるを得ない。
それでも価値の違いがわかるかと聞かれたら
よくわからないのも事実だ。
なんか凄そうだ、、、
それが今のわたしには精一杯の感想である。
最後に冷やかし半分で
有田焼の販売店へと赴いてみた。
どれどれ、
有田焼とはいかほどのものですかねぇ
などとほざきながら
上質な販売店の暖簾をくぐると
性根の腐ったわたしの前に、
それら陶磁器たちは
わたしの遥か想像の十倍ほどの値段で
毅然と並んでいた。
二、三日風呂にも入ってないわたしなんかが
冷やかしで覗いていい場所では
なかったのだと反省しながら店を出たのだった。
泉山と呼ばれる磁器の原料となる陶石が採掘された山。
大きな穴が空いた場所が採掘された場所で、昔の写真と見比べるとごっそりと山ごと削り取られてしまっている。
人間の執念にはいつも驚かされる。
地面にも陶器が埋め込まれている
街の中にあった木
樹齢千年だとかなんだとか。
トンバイ塀
窯に使ったレンガを再利用して作った塀が
街の中にたくさんある。
急に現れた人
一旦長崎へ。
佐賀にはまた後日