どうもリョウスケです
遠出しなくなって何ヶ月が経過しただろうか、旅欲が日に日に衰退していると感じる。
近場の県外なら日帰りで足を伸ばしても問題はないのだろうが、
いかんせん、気持ちがついて行かない。
ほんの一年前に全国旅して回ったのが嘘のように、自堕落で生産性のない生活に居心地の良さを感じ始めて数ヶ月が経つ。
これは流石にヤバイ!
このままだと来年旅を再開する際支障が出る恐れがある。
旅は、気持ちの持ち用が極めて重要なのだ。
あくまで持論だが、計画だの、体力だの、装備だのは、旅を再開してからでもどうにでもなると思っている。
必要なものは必要になった時考えればいい。
だが殊やる気においてはそうも行かない。
自転車が一台あればスペックに関わらずどこまででも行ける。
必要最低限の荷物と、自転車を数メートル漕ぐだけの脚力さえあれば、道が続く限り、果ては無限だ。
ところがやる気一つ喪失すれば、市内さえ突破できない。
一人旅とはそういうもので、旅に向かう心持ちはそれだけ重要なのである。
いまの私は、その想いが萎んで消えそうなのが現状である。
これはいけないと思いつつ、状況を打開しようと考える気持ちさえ、今はどこかに消え失せてしまっているーーー
そんなある日、両親から長浜城の入館券が余ったからと渡された。
「これで明日行ってきたら?」と言う
天邪鬼な私にとって、人から休日の過ごし方を指定されるのは気にくわない。
知らんぷりしてやり過ごそうかと思ったが
自堕落で生産性のない生活に、たまには花を添えたい気持ちも無きにしもあらず
長浜城など市内在住者なら学校の授業で訪れる以外、よほどの物好きでない限り、訪れる機会がほとんど無い。
地元の人間ほど、地元の名産や観光地に馴染みが薄いという地元あるある。
無料券を貰うなどという特殊な機会がなければ、いくらこんなご時世だとして微塵も行こうと思わないのだが
考えてみると、全国のお城を巡ってきたいま、長浜城に全く関心がないわけでもない。
自堕落で生産性のない生活に、たまには花を添える気持ちで出掛けたところで損はないだろうと、けっきょく無料券を握り締めて行くことにした。
家から数十分、長浜駅西側琵琶湖に面する豊公園駐車場に車を停める。
市内を出るのも躊躇う近頃の私でもこれぐらいなら抵抗なく外出できる。
天気も快晴。平日とあって人も少ない。何より静かだ。広々した公園の敷地内はのんびりした空気が流れ、散歩すると気分がいい。
高校時代昼日中をひたすら公園でぼけーっと過ごしたある日の記憶が蘇る。
檻で飼われた3匹の猿の毛繕いを眺め、
ポップな音楽がどこからともなく流れる噴水広場で日向ぼっこし、
砂浜をぼんやりと散歩する。
どこぞのジジイみたいに、そんな休日の過ごし方も悪くない。
今度実践してみようとぼんやり考えていると、
正面にそびえる長浜城が姿を現した。
中に入ったのは小学校の校外学習で訪れて以来、ほとんど記憶が乏しい。
お城に興味のなかった少年時代、それはただの面倒臭い行事の一環でしかなく、
あの頃の私は、早く終われと祈る気持ちでお城を見上げていたに違いない。
まさか将来自分が全国のお城を自転車で巡る過酷な挑戦に身を投じるなどとは、露ほども想像しなかったはずだ。
お城に少し近づく度にスマホのカメラを起動する。どの画角でどう撮るのがベストかなどと考えるのも、昨年旅を終えてから久方ぶりの経験である。
心は少し高揚していた。
豊臣秀吉が木下藤吉郎と名乗っていた時代、秀吉が初めて築城したお城である。石田三成との関係も深い。
外見こそ当時の長浜城を復元しているとはいえ、内部は鉄筋造りの博物館、
それでもお城に関連する資料や出土品など、秀吉や三成に関わる武具や書物が展示されているとするなら、一見の価値は十分にある。
期待と興奮の内混ぜになった感情で、展示コーナーのある上階へと進む足は軽やかだ。
ところがいざ展示室にたどり着くと、少し様相がおかしい。まさかの縄文土器がフロア全体に陳列されている。
縄文土器??
大昔琵琶湖畔に存在した遺跡の遺物らしい。説明によると、琵琶湖の湖底に沈む土器が、100年前地元の漁師によって大量に発見され、遺跡の存在や、湖底に沈む謎の数々を生み出した経緯や、土器の特徴など、滋賀に住みながらにして知らない事実ばかりで、非常に興味深い展示会である、、、
がしかし、お城との関係は全く無いに等しい。
これではないのだ!
私が求めていたのはこれではない!!
お城の歴史であり、秀吉や三成に関わる資料である。
ラーメンを食べに来て、隣のお好み焼き屋しか空いていなかった時の、これではない感。
嫌いなわけではない。むしろ、目的が逆であれば、喜んで店に入る。
だがしかし、今はこれではない。
ラーメンであり、お城に関わる歴史資料である。
どうやら二階は特別展示室となっているらしく
常設展示は3階になるらしい。
なんだ驚かせおってからに・・・と
一人ほくそ笑んで三階へと続く階段を登って行く。
ついにご対面できるとワクワクし
うねる鼓動に恍惚とした感情を抱いて登ること30秒後
3F第二展示室と書かれた入り口らしき扉にたどり着くと、
そこは硬く閉ざされ、
中が見えぬよう遮断された黒い暗幕、
無情に突きつけられた貼り紙がぶら下がり
そこには、、、
愕然と立ち止まり
全身から力が抜けていき
ふと笑ってしまう。
両親から貰った入館券
前日に急遽漠然と立てた予定
人の少ない平日
20年近くぶりに訪れた長浜城・・・。
全ては巡り合わせである。
この感覚はどこか見覚えがあったーーー
最上階は展望台になっている。
西に目を向けると広大な琵琶湖が一望でき、東に目を向けると見慣れたいつもの街並みが広がっている。
どこかの展望台を登ってみても知らない景色が広がるだけで、基本的に「綺麗だな」の感想以外こみ上げる思いはない。
こうして知っている街を高みから見物するのは意外にも新鮮で、捉え方も違うのだと知った。
懐かしくて愛おしい
手を大きく広げて見える全ての景色を私は熟知している。
そんなくだらない戯言が何故か不思議で
何故か可笑しい
ここでも何枚も写真を撮る
シャッターを一枚押すごとに旅の感覚が蘇ってくるようで、体のどこかで沸沸と血が踊るのを感じる。
衰退した旅欲は失ったのではなく眠っていたのだ。その日が訪れるまで、
ただただ眠っているだけだったのだ。
晴れ渡った空、求めていたものと違った展示物、全ては巡り合わせ
一期一会の旅ならではの魅力
こんなハプニングさえ笑ってしまうぐらい楽しいと感じれる私は、
誰に何を言われようと最強である。
何故なら私は、根っからの旅人なのだろう。