どうもリョウスケです
旅231日目
島根(出雲→石見銀山→道の駅サンピコごうつつ)
天気 はれ 雨
石見銀山!!
その昔、日本はマルコポーロによって
黄金の国と称されていた。
その理由として、
金山や銀山が豊富にあったことが挙げられる。
特にこの石見銀山は
世界的に見ても
当時の銀の排出量が非常に多かったとされていて
ある世界地図にも、
日本の銀山として石見銀山の名前が紹介されており
世界的にも有名だったことが伺える。
そもそも石見銀山とは
どのようなものか。
それを知らずして
行ったところで無駄な放浪に
なりかねないので
近くにある世界遺産センターに足を運ぶ。
ここでは石見銀山についての資料であったり、
模型や映像を使って
銀山の歴史や、銀の製造方法などをわかりやすく
学ぶことができるようになっている。
以前新潟の佐渡島で金山に行った際も
製造方法を学んだが、
銀は銀でやり方がまったく異なっていて
驚きである。
化学的な部分は???のオンパレードで
難しく、理解を
脳みそが拒絶しているのを実感した。
つまりは熱したり叩いたりすることで、鉛と銀の混じった物と
それ以外の不純物とで分け
その後もまた
熱したりしながら鉛と銀を分け、
最終的に残った純度百パーセントの銀を加工して
お金に変えたりする、、らしい。
仕組みは分からない、が
とにかく大変そうだというのは伝わった。
そもそも、
世の中のだいたいの事は、
大変そうなことで満ちている。
銀山を歩く
石見銀山には間歩と呼ばれる坑道が
街の至るところにある。
ちょっと山の隙間を覗いてみると
坑道番号の書かれた穴がぽっかりと空いている。
石見銀山にはそんな坑道が500とか600とかあるらしく
長い歴史のうちに
人間がどれほど銀を求めたのか想像に難しくない。
その中でも、実際に観光用として
公開されている
龍源寺間歩と呼ばれる坑道に行ってみる。
駐車場から2キロの道のりは
観光車通行禁止になっていて歩かねばならない。
2キロとなると
自転車ではクシャミを我慢している間に着く
距離ではあるが
歩くとなるとなかな遠い。
レンタサイクルを利用する人も多く
初めから自転車を所持している私なんかは
彼らより堂々と
自分のチャリを乗り回すべきところだが
無駄な行為が大好きな私は
そこをあえて2キロの道のりを歩いてみることにした。
田舎道。。
いい感じのカフェ。。
お寺。。神社。。
のんびりと歩くのも
たまにはいい。
所々に銀山に関連する痕跡
この辺りは当時かなり栄えていたらしいが、
いまはのんびりとした
空気の流れる静かな田舎道が続いている。
1時間ほどゆっくりと歩いて
龍源寺間歩に辿り着いたーーー
龍源寺間歩
細長い道が600mほど続く
銀山の全盛期江戸時代に実際に掘られた坑道。
前を歩くガイドさんに案内されて
まっすぐ伸びた細い坑道を
順番になって進んでいく。
坑道は少し屈まないと進めない高さの所が
たくさんあった。
私はいつも思うのだが、
こういう見た感じ低そうに見える天井部を
通過する場合、
自分が背が低いと自負している私は
果たして本当に屈む必要があるのかどうかと
考えてしまう。
低そうに見えるというだけで
案外私ぐらいの身長では頭をぶつけるほどの
高さではないのでは、、
だとしたら低いクセに屈んだりして
ちょっとでも自分の身長が高いと勘違いしてやがると、
後ろの人に密かに
笑われているのではないだろうか。
もしそうならとてつもなく恥ずかしい、、
かといって、
屈まず進んで頭をぶつけた時には
もっと恥ずかしい思いを
した上に、痛い思いまでしなければならない。
リスクを考えたら
背中で笑われていることを覚悟して
屈んで進むべきだろうか。。
と、意味もなく思案している間に
出口に着いてしまった、、
けっきょく鉱脈がどうだのと何となくでしか
理解できなかったが
歴史と汗と努力で作られた坑道は
とにかく、
世界遺産に相応しい価値のある遺産である。
ババン!!
つづく
リョウスケ
銀!!
坑道の横の裂け目に鉱脈があることが多く
そこから銀が採掘された
銀の製錬所跡
お城の石垣に見える。
城跡だと言われたらそうなんだと頷くしかない。
武家町
古い感じの建物がたくさん残っている