どうもリョウスケです
旅203日目
天気 くもり 雨
随分涼しくなったものである。
朝なんて幾分肌寒いと感じるほどに
寝袋をなかなか手放せない
ついこのあいだまで
朝も昼も夜も凄まじい暑さで苦しかったというに
これがただの気まぐれで
そのうちにまた暑さがぶり返してきやしないかと
なかば疑っている私は
少し涼しくなったからといって
安心などしないように心がけている。
油断は禁物ーー
ある日突然ニュースで
夏の気候が戻ってきたと言われた日には
絶句し投げやりになって
自転車のまま近くの川に飛び込まないとも限らない。。
永平寺という名のお寺に行った。
永平寺は曹洞宗の寺院で、道元禅師によって開山されたお寺である
長方形に漢字の「目」の形になった通路の所々に
大きなお堂があって
それぞれに仏像が祀られている。
その中でも本堂にあたる部屋は特別大きく
豪華な作りで圧倒的。
しばらく畳の上で正座してぼんやりと眺めながら
静かな時間を過ごす。
神社でお参りする時、二礼二拍手一礼をし、決まった願い事を
唱えることを欠かさない。
いまでは頭で復唱せずとも
願い事が口から溢れ出るほどであるのだが
お寺はどうしたらいいのだろう。。
お賽銭をし、手を合わせて、目を閉じる
このさい「お願い事」はしてもいいのだろうか
してはいけないのだろうか、、
この疑問の答えをあえて知ろうとしないまま
がめつく仏様にお願いをしている。
そもそも信仰のない私は、
有名な観光地であるならお寺だろうと
教会だろうと
気にせず進んで訪れるし。
あわよくばと微々たる賽銭を投げ入れては
その見返りにと割りに合わない願い事を三つも唱えている。
懐の深そうな彼らのことだ
きっと私の願いも聞き入れてくれるに違いないーー
などと図々しくも都合のいい解釈によって
私は今日もお願いをする。
全体的に木造で作られた建物は
歩くたびにキイキイという音が鳴って
静かな寺の中を木霊する。
長い階段は少し谷側に傾斜があるようで
なぜだろうと疑問に感じていたら、隣を坊さんが
颯爽と下っていった。
下りやすい作りに工夫されているのだろうか
ここは修行寺としても有名で
修行僧が禅をしたりご飯を食べて寝る部屋もあった。
案内板には浴室と書かれた部屋があり
なぜわざわざ風呂まで記す必要があるのかと思っていたら
説明書きには
このお風呂も修行の一つなのだそうで、
何をしていても休む暇など無いに等しい坊さんの世界は
平凡な感想で呟くなら、、すごいなあ、、
ぼくにはとてもできそうにない。。
禅を体験できる部屋なんてものもあって、
少しそこで壁に貼られた紙に倣ってやってみる。
これが思ったよりも難しく
私の足では両方上にあげることはできないらしい。。
一応形を作って目を閉じてみたが
静かな空間で
一人目を閉じて座ってみると
あれやこれやと雑念が思い浮かんでは消えていき
また思い浮かんでは消えていく。
お腹が空いた、、いま何時なんだろう、、隣で変な声がした、、
昨日の博物館よかったな、、天気悪くならないといいけど、、
ああ腹減った、、今日はどこに泊まろうか、、
金欲しいなあ、、どっかに大金落ちてないかな、、ハンカチを拾ってあげたお爺ちゃんが大金持ちの資産家で、
お礼にと金のロレックスをお土産にくれないかなあ、、、
。。。。。
雑念が浮かんでは消えて、
ふと自分には禅の修行がまだまだ足りないことを思い知らされた。
とはいえ、
修行僧になろうとは
ぼくにはとてもできないことにちがいない。
つづく
リョウスケ
100名城 一乗谷朝倉氏遺跡
朝倉氏の収めていた館や城下町があったとされる場所である。織田信長により滅ぼされるまでこの辺りはとても盛えた町だった。人口1万人を超えるだけの多くの人が住んでいたとされ、当時では全国でも三番目に栄えていた町とされている。信長に殲滅されて以降は遺跡となっていて、いまでは発掘作業によって建物の跡だけが残っている。
基本的には自由に散策できるようになっているが、一箇所だけ当時の文献や発掘作業によって復元された建物が並ぶ場所があり、なかなか見応えがあった。
当時と同じ技術で建築された建物は、当時の暮らしをわかりやすく伝えてくれる。家や井戸やトイレや蔵、、ところどころには人形が配置されていて、商いをする家族、将棋を指す人たち(朝倉将棋と呼ばれ、少しだけ現代のとルールが違う)
当時の暮らしを人形で再現
トイレ!!
酔象と呼ばれる駒があった。真後ろのマス以外は全マス進める。ほぼ玉将と同じ