チャリ旅日記

旅のことや日常のことを気ままに綴るよ

2日目と3日目

 

 

 

どうもリョウスケです

 

 


琵琶湖一周2日目は少しでもお城に近づくことを目標に走り続けた。

昨日の疲れと筋肉痛で疲労困憊、万事休すかと予想していた体は、

割と元気よく動いている。

少し風邪気味だった調子も、

喉の痛みと頭のクラクラは消え、鼻に移行している程度で

大した問題ではなさそうだった。

天気もすこぶる良い

快晴、、とまではいかないが

むしろ少し曇っているお陰で走りやすい

 

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琵琶湖を人の体に見立てると

頭のコメカミあたりから出発し

バンドマンさながらなイケイケツンツンヘアーの頭の先っちょを通過

徐々に南下していき

1日目は胸よりは下あたりまで到達し終了

2日目はそこからさらに南下

足の膝上あたりにある大きな琵琶湖大橋を素通りし

そのままさらに南へ

スネよりは下あたりにある近江大橋を渡って反対側にたどり着く

足の先まで行くことも可能ではあるが

私は琵琶湖一周にそこまでの情熱は注ぎきれず

いつもスネよりは下あたりにある

近江大橋を渡る

橋を渡るとそこから今度は上へ上へと登り

腰のあたりまでやってきたところで2日目は終了した。

 

因みに体の話ではなく、琵琶湖の話である

 

 

 

3日目、、、

 


滋賀にある二つの100名城は

安土にある隣り合った二つの山にそれぞれ存在する

 


山城と聞くと、

少し不安が頭を過るのだが

それが二つあり

しかもここからさらに実家までの道のり

約40キロ程を

走り通さなければならない。

自転車琵琶湖一周旅のはずが

これではまるで

鉄人レースさながらである。。。

 

 

 

とにかく頑張ろう。

今日中に家に帰り着きたい

これ一心で

 

 

 

100名城  観音寺城


滋賀にある四つのお城のうち三つは知っていた。国宝にも指定されている彦根城織田信長浅井長政等、著名な武将が築き上げた小谷城安土城

ところが残る一つの観音寺城とはどこにあるどんなお城かまるで聞いたことがない

 

山の上にある観音寺城へは、下から登るルートがいくつかある。車で中腹まで行くルートもあるが、私は下から歩いて登る桑実寺経由ルートを選択

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お寺までは長い石段をひたすらに歩く。お寺の入口の門から約15分かけ、ようやく桑実寺に到着。古く歴史のあるお寺を横目に、そこから先は登山である。

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川が流れ、木々が生い茂り、鳥が囀り、マイナスイオンを感じながら奥へ奥へと登る

看板も説明書きもないまま黙々と登り、ようやく少し開けた場所に辿り着いた先に

「本丸跡」と書かれただけの柱と、

薄くてまるで読めない城の説明がされた看板だけが虚しく立っていた。

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これで終わりだと本当に虚しいだけなので、大石垣と呼ぼれる石垣にも行ってみる。

あまり期待はしていなかったが歩くこと15分、辿り着いた先には綺麗な景色と大きな「観音寺城」と書かれた旗があり、

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ここがどうやらメインであることが分かるが、石垣の姿が見当たらない。もしやと思い崖になったところを恐る恐る下を除いてみると、そこが石垣の上であることがわかった。

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石垣マニアではないが、石垣があればこそ、素人目にもここが城の跡地だったことを如実に伝えてくれている。少しホッとした

 


結局のところ、ここがどういうお城だったのかはわからない。が、景色は綺麗で石垣があるのだからここが本当にお城だったのだな、と分かれば、それでまあ、

いいか。。と納得することにした。

 

 

 

100名城安土城


言わずと知れた織田信長最後の居城であり、当時の最高の技術を結集して作られた伝説の城。完成後、わずか数年で信長が死に、それからすぐに城も焼失している。原因は不明(一説によると信長の息子信雄が勘違いで燃やしたのではないかといわれている)

城跡と言う割には建物こそないものの、石垣が立派に残っている。山城ではないとされているが、山に沿って建てられた城は石段も多く、天守跡までは結構歩かねばならない。

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大きい石段は一段一段上がるのも一苦労で、その分体力も脚力も使うのでけっこう辛い。

山を一つ登りきったあとの長い石段は自分が何かアスリートにでもなって特訓でもしているかのようで、なんでこんな辛い思いをしなければ、、と昔の偉大な偉人にまで愚痴が及びそうになったところで天守跡にまで辿り着いた。


天守閣跡」

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あまりにも有名で偉大過ぎるお城がここにあった。城跡にくると想像力が問われる。どこに何がどのようにあったのか、実際の地形や石垣などから想像するわけだが、ここ安土城は石垣や地形の形が綺麗に残っていて想像しやすい。


なんだか不思議だ。家から数十キロしか離れていないのに、大昔ここに立派な城があった。

どこかで聞いた。もし安土城が現存していたら、間違いなく世界遺産にでもなっていたはずだろうと、、。

もっと誇りに思うべきかもしれない。

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資料館にある安土城の模型

 

 

 


城を二つ登り、残る数十キロの道のりを走る。

途中彦根城の横を通過した。

あの城だけはなんとなく旅の最後に行こうと決めている

100名城最期の城

それに相応しいような気がする。

変な拘りだが

要はその方が気持ちが盛り上がる、、それだけ

それが重要なのだ。。

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遠くに見える彦根城

 

 

琵琶湖一周

二泊三日

両日共にテント泊

総距離200キロ以上・・・細かい距離は不明

城三つ制覇

小谷城観音寺城安土城

天気・・土砂降り、曇り、晴れ

午後6時前、、家に到着

愛犬に「ただいま」と声をかけ

家に帰る。

 

 

 

 


                                          つづく

リョウスケ

 

 

 

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半分に割れた安土城の模型

中の細部まで詳細に作られている
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織田信長先生の写真のような絵
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織田信長先生の銅像
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おそらく織田信長先生の飛び出し小僧

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完走。。