どうもリョウスケです
旅40日目
茨城
天気 雨
地域によっては記録的な大雨と聞くけれど
この辺りではまだそれ程でもなく
雨が降ったり止んだり
カッパを着たり脱いだりを
繰り返している。
そんな日
水戸城にやってきた。
茨城で一つだけある100名城
水戸と聞けばあの護衛を付けて旅する
殿様の話が有名である
城はすでに存在せず城跡には現在
高校や中学校が建ち
部外者は中に入れない。
もちろん部外者Aの私は外からこっそり門の
写真だけ撮り
後は怪しまれない程度にさりげなく中を覗き見し観察して回る。
どうやら城跡を意識してか学校の門や塀は
通常の形とは異なり
お城のそれに近い形に再現されていて
ぱっと見雰囲気はお城そのもの
一見学校には思えないが中から聞こえる子ども達のはしゃぐ声に
そこが学校なのだと分かる。
ちょうど給食の時間だろうか
廊下を白い割烹着を着た子どもが通り過ぎたような気がする
子供の頃、給食が大っ嫌いだった
おいしいと思ったことは一度もなく
憂鬱でしかなかった。
でも今なら何でも食べたい
あの不味い給食をたらふくお代わりして
腹一杯に満たしたい
と、感じるのは単純にいまお腹が空いて仕方がないのと
不味くてもしっかりとバランスを考えて並べられた献立に
しばらく飢えているからだろう
ここ水戸城では例の護衛を付けて旅した殿様の時代から
学問に大きく力を注いでおり。
大日本史なる歴史書を200年以上もかけて作っていたり
弘道館という名の藩校を城の側に作り
そこで学問や武術などを教えていたそうで
その建物だけは今も残っている。
因みに、ガイドのおじいちゃんから有り難く聴いた話によると
例の護衛を付けて旅する殿様
水戸光圀は実際にあんな旅をしておらず
大日本史を作る際、
全国から情報を集めた事が物語の素に由来している
そして護衛の助さん格さんは実在し
実際に光圀公に仕えていたのは事実だが、
大日本史を編纂した数多くの人物の中の一人で、
実際に戦ったかどうかは不明である
知らなきゃ良かった事実を知り
少しショックを受ける。
しかしながら
旅をしていると
特に興味を抱かず生きてきた事に
目を向ける機会に出くわすことで初めて知れることが多く
それが何より楽しい。
次はどこに行こうか。。
リョウスケ
昔使われていたトイレ。使用禁止
間違ってもここではトイレをしたくないな
例の話題の焼きそばを食べてみた
昼飯を抜いたからか意外と普通に食べられたことに驚く。